【イベントレポート】ぼくらの自由なお祭り〜IZU YOUNG FES 2015〜


 5月23日、静岡県伊豆の国市・狩野川さくら公園にてバンド・ヤングが主催する野外フェス『IZU YOUNG FES 2015』が行われた。今年で5回目の開催になるが、ヤングは今回の開催をもってヤングを解散すると発表しており、当日は全国各地のファンと伊豆の地元の観客が駆けつけた。

 東京から新幹線で約1時間で着く三島駅から、さらに箱根伊豆鉄道で30分ほど下った伊豆長岡駅。駅ビル等はない小さな駅で、ロータリーを抜けると車道を中心として住宅や商業施設がぽつぽつと並んでいた。10分ほど歩くと大きな狩野川が広がり、更に川沿いを10分ほど歩くと会場・伊豆の国さくら公園につく。河原に作られた手作りのステージ。対岸の山の奥には富士山が見えた。

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市営・伊豆の国さくら公園は地元で有名な桜の名所であるが、季節は新緑が映える5月下旬。メンバーによる草刈りにより、会場はきれいに整えられていた。(写真=ニイタニナギサ)

 ステージとなる舞台の設営は、メンバーの友人である大工職人が指揮をとり、メンバー、メンバーの友人、関係者、ファン、そして地元衆たちで行われた。地元の若者たちは必ずしもヤングの昔からのファン、インディーズ好きの音楽ファンというわけではない。たまたま偶然、地元でなにやら面白いことをやっていると嗅ぎつけ、前回までのイズヤングフェスに参加し、「今年はぜひとも会場の設営から手伝わせてください」と名乗り出たそうだ。

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前日に舞台骨組み、当日早朝にテントやその他装飾が施され、音響機材が準備された。(写真=木村泰之)

 手作りのステージで運営の指揮をとる片岡敬は、ステージの表と裏をしきりに往復していた。ヤングの録音はすべて片岡によるものであるが、今年も彼を中心に計4名の音響スタッフによって舞台の音響は整えられた。ステージ横には機材を運ぶ大きなトラックが停まり、ステージの音響をひっそりと見守っていた。

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PAブースで休憩中の音響スタッフたち。画面左にいるのが片岡敬。ちなみに以前「みんなの馬場ちゃん!」で取り上げた馬場友美(画面中央)がメインのPAを担当。元・新宿MotionのPAでありオワリズム弁慶の総指揮官フクシマヂロウ氏の姿も。(写真=木村泰之)

 フェスを盛り上げるのは、ヤングと親交のあるアーティストばかりだ。ヤングの昔からの盟友であるSEBASTIAN Xから音沙汰、T.V. not January、フジロッ久(仮)というファンならお馴染みのバンドに加え、静岡のお隣長野県で音楽活動を続けるmetoba traffic、昨年発表された『恋する団地』をヤング高梨てつ本人が譜面に起こすほど気に入ったというayU tokiO、そしてヤングが十代の頃から敬愛しているアナログフィッシュから下岡晃が出演し、最後のフェスに花を添えた。

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どんちゃん騒ぎが痛快のフジロッ久(仮)。観客皆良い笑顔。(写真=廣田達也)
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DJブースでノリノリのDJ陣。 以前イズヤングとともに取り上げたフジサンロクフェス主宰の鈴木竜一朗氏もDJ:WILDTASTE(右から4番目)として参加。フジサンロクフェスとイズヤングフェスを繋げたDJマシュマロ氏(右から5番目)の姿も。(写真=廣田達也)

 また、高梨の兄が経営する『ラーメンろたす』の出張屋台は常に盛況し、地元の無農薬野菜を扱うカフェ『NORA』や静岡県御殿場市のkitchen&bar『明天(みんてん)』、埼玉県越谷市の窯元『町の陶器工房』など個性的な出店がステージの脇を飾っていた。ヤングのコンセプチュアルなアイテムやCDジャケットのイラストを手がけるSTOMACHACHE.のオリジナル缶バッジ屋(リクエストしたイラストを描いてくれて、その場で缶バッチにしてくれる)も好評だった。

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高梨の兄が経営する『ラーメンろたす』の屋台の様子。ろたすスタッフによる連携プレーによりスムーズにラーメンが提供された。オリジナルTシャツもかわいい。(写真=西槇太一)

 イズヤングフェスが他のフェスと違う点は、その地域に住んでいるごく普通の人々を取り込み、一体となって楽しむことができる点だ。例えば、部活帰りのジャージを着た女子中学生や、どこかの現場の作業服を着た作業員…など、ちょっと寄ってみた、という風貌の観客も目につく。赤ちゃんや子どもやペットを連れた家族連れも大変多かった。

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ayU tokiOのイノツメアユ(Vo&Gt)は「目の前に赤ちゃんが3人も見えて、サイコーだ」と最後にMCで言っていたが、会場には本当に子供・赤ちゃんが多かった。(写真=アオキユウタ)

 最後のステージ、ヤングの高梨はMCで観客に向かってしゃべった。「昔は衝動のままに音楽をやっていたけれど、あるときから自分が作った音楽やイベントが誰かのものになればいいなと思うようになった。今日、みんなのイズヤングフェスになっているって感じることができたので、ヤングを終わらせることができます。」その言葉に迷いは見られなかった。筆者はこの言葉で、本当に終わってしまうんだ、と実感した。

 各々にフェスを楽しむ人々がいた。全国から集まったファンやヤングの友人・関係者、そして地元の人々。正直、地元の人とそうでない人の境目が全くわからなかった。普通に考えれば、インディーズで活動しているアーティストが中心のフェスなど、ニッチな領域に過ぎないだろう。しかし、その空間は閉鎖的にならず、ゆるやかに一体化していた。フジロッ久(仮)の藤原亮(Vo.)は自分たちのアクトの中で、「このフェスでは一番自由になった奴の勝ちだ」と言い放っていた。自由とは、その場にいる一人一人の手にあるのだ。

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静かに座って演奏を楽しむときもあれば、湧き上がりモッシュ・ダイブも起きるときもあった。盛り上がり方は自由。フラッとこんな素敵な場所に来れる最高のロケーションでフェスは実現した。(写真=アオキユウタ)

 良いところに業務連絡。アンコールに差し掛かるとき、17時に閉まる近くの市営駐車場に一台車が駐車しているので至急車を移動してほしいとのアナウンスが入る。会場全体がその車の動向を気にした。観客からは「誰ー?」と呼びかける者もいた。視点がステージからステージの後ろへ一斉に移動すると、市営駐車場の近くにいた人間が、車が移動した、という合図をジェスチャーで送った。運営側も観客側も、このフェスをマナーを守りながら円滑に進めようと一体化している瞬間を垣間見た出来事だった。

 「みなさんと仲良くなりたかった。」ライブの終焉に、高梨は感傷的になりながらそう強く答えた。「音楽じゃなくてもよかったんだよなあ…」そんな本音も飛び出たが、彼らは音楽を体現することにより、自分たちの地元で会場の何百人もの人の心を動かしていた。ここは趣向性が似た音楽好きの集まるどこか都会のライブハウスではない。静岡・伊豆にある市営の公園である。場所・環境は問題じゃない、やろうと思えば、考えればなんだってできるし、隣の人と繋がることだってできるのだ。

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ラストソングはヤングで初めて作られた「ももいろダンス」。(写真=鈴木竜一朗)

 こうしてヤングは、終わりの季節を自分たちの地元で、自分たちの企画で迎えた。バンドの終了というものはファンにとっては実に寂しい。しかし、全体を俯瞰してみるとネガティブな思想は全くなく、「ヤングは解散するけど、次は君たちの番ですよ」というバトンタッチのような前向きなイベントにも思えた。最後にはフジロッ久(仮)の藤原が、誰か伊豆に住む人間でイズヤングフェスを引き継がないか、と焚きつけていた。このイベントがきっかけで人生が変わってしまう人もいるんじゃないだろうか。いや、既に自分も心を大きく動かされている。ヤングは解散してしまったけれど、ここにイズヤングフェスという奇跡のようなお祭りがあったことをここに留めておきたい。

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最期は、笑顔と涙とぐちゃぐちゃの感情がステージと観客でシンクロしていたが、大成功に終わった。(写真=木村泰之)
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バンド・ヤング集合写真。左からBa.青木俊、Dr.鈴木R安希彦、Vo.&Gt.高梨てつ、Tmb.エリザベス宮地、Gt.大井ヒロシ(写真=西槇太一)

イズヤングフェスを写真で振り返る7日間

今回写真を掲載させていただいた6名の写真家(アオキユウタ、木村泰之、鈴木竜一朗、西槇太一、ニイタニナギサ、廣田達也)によるフォト・レポートが『IZU YOUNG FES’15』(URL:http://iyf15.tumblr.com/)で公開されています。6者6様のイズヤンフフェスをお楽しみください。

(リード写真=西槇太一)