みんなの馬場ちゃん!インディーズシーンを支えるエンジニア・馬場友美インタビュー


 2014年12月末をもって閉店した南池袋ミュージック・オルグ。ここは、ライブハウスだけではなく、オルグのPAであり録音エンジニアの馬場友美(通称、馬場ちゃん)によって録音作業場としても利用され、オルグで録音し世に放たれた音源も数多く存在する。また、毎年5月10日には、自身の誕生日を祝うイベント『馬場聖誕祭』、昨年12月にはミツメ・森は生きている・吉田ヨウヘイgroupによる3マンライブ『馬場ありがとうナイト』や、シャムキャッツやGELLERS、柴田聡子など、計14組が出演する『オルグスター感謝祭』を開催している。そんな皆に愛される馬場ちゃんとは一体何者なのか? 今回、馬場ちゃん協力のもと、今まで馬場ちゃんが(オルグ問わず)携わった全音源の作品リストを作成。そのリストで過去の活動を振り返ってもらい、録音エンジニアとして、アーティストのPAとして、オルグのPAとしての活動についてインタビューを敢行。ひとつひとつのコミュニティが少しずつ繋がって盛り上がるインディーズ・シーンで、常に必要とされている馬場ちゃんという”居場所”について追っていきたい。

取材・文:藤森未起
写真:トヤマタクロウ

profile

馬場友美…1986年東京生まれ。音響の専門学校卒業後、都内レコーディングスタジオ勤務を経てフリーとして活動。数多くのインディーズバンド・ミュージシャンの録音・ミックス作業に携わり、近年ではライブのPAも担当する。

 

南池袋ミュージック・オルグ…2011年1月にオープンした池袋のライブハウス。2014年12月末をもって閉店。店長でありオーガナイザーであるミヤジこと宮崎岳史による目利きの効いた幅広いブッキングと、演者と参加者の距離が近いアットホームな空間・ノルマを課さない出演者に寄り添った経営で多くのミュージシャンから愛され、さまざまな自主企画やイベントが開催された。また、録音作業場としても使われ、オルグで収録された音源が数多くリリースされている。

半月くらい泊まりこんでやっていたから。5日会わなかったら「超久しぶり!」みたいな。ほとんど毎日一緒にいた。(馬場)

――さて、こちらが馬場ちゃんに埋めていただいた、今までの作品リストになりますが…これを見る限り、本当にたくさんやっているよね。

馬場:だいたい網羅されているとは思うけど、ちょいちょい抜けているかも…。

――(リストを見ながら)どの作品、またはどのミュージシャンが思い入れ強いですか?

馬場:ARTLESS NOTEは一番最初に録っているから思い入れは強い。あとは、シャムキャッツのDEMO SINGLE SERIESの3作が一番強いかな。

――そもそも、なんで馬場ちゃんはこんなにインディーズ・シーンと深く関わるようになったのかを紐解いていきたいんですが、どういうきっかけだったのでしょうか?一番古いのはARTLESS NOTEかな?

馬場:高校を卒業して音響の専門学校に入学したんだけど、その専門学校で一番仲の良い男の子が”脳呼吸”っていうバンドをやってて。その脳呼吸がARTLESS NOTEと仲良くて、よく対バンしてたのをきっかけに私も仲良くなった。私はその頃から録音を始めたんだけど、練習がてらARTLESS NOTEを録らせてもらうようになった。学校を卒業してからはレコーディングスタジオに勤めるようになって、そこで、深夜にこっそりレコーディングしてた。

――その次に古いのは誰でしょうか…?

馬場:thai kich murph (以下、タイキック)か、student a かな? タイキックは、私が専門学校で知り合って、後に一緒に住むことになる、”ちっせ”が連れてきた。「わたしこの子たち録る―って」

――ということは、録音エンジニアの方々って、自分たちでアーティストを見つけてきて、個人個人で録音して腕を磨いていくものなのでしょうか?

馬場:いや、そんな事もないと思う。私とちっせは、ちょっとレーベルぽいことをやってみたいよねって言って、『個人盗撮れこーど』っていうレーベルを作って、コンピレーションアルバムを出しているんだけど。いいバンドを見つけて、自分達で録って、売ろうよっていう。そこでちっせはタイキックを見つけてきた。だから、タイキックの初期の作品で私が録音助手なのは、ちっせの助手。私が機材を持ってたから、ちっせに機材を貸したり、勤めていたスタジオを貸したりして手伝ってた。

――馬場ちゃんがスタジオに勤めていたのは何年から何年くらいまで?

馬場:2007年に学校を卒業して、そのままスタジオに就職して3年でスタジオが潰れた(笑)。でも、本当にスタジオがちゃんと稼働してたのは2年半で、最後の半年は契約が残ってたから、仕事はないけどお金は入る超自由な時間だった。

――そのときにはもう、ちっせちゃんと同居していたのでしょうか?

馬場:ちっせと同居を始めたのは、スタジオ勤務の最後の年の2009年から。東高円寺の駅から近いそれなりに広い家で、2011年の冬まで住んでた。一緒に住み始めてすぐ、ちっせがタイキックの次に太平洋不知火楽団(以下、太平洋)を録るって言って、太平洋を連れてきた。で、私がスタジオ終わりかけの一番暇な時期に出会ったのがシャムキャッツ。

――シャムキャッツはどういう経緯で録ることになったんでしょうか。

馬場:もともと友達だったSEBASTIAN XとARTLESS NOTEのメンバーがうちにシャムキャッツの夏目(知幸)君と菅原(慎一)君を連れてきて一晩飲んだ日があって…。で、ある程度面識が出来てから、下北沢440で偶然シャムキャッツに会った時に、「最近暇なんでしょ? レーベルやめてこれから自分たちで録っていこうと思うんだけど、ちょっと手伝ってくれない? 」みたいに言われて、気づいたらがっつり手伝うようになってた。

――私もこの頃から馬場ちゃんの名前をよく聞いていた覚えがあります。一番密接にやってた?

馬場:うん。メンバーが半月くらいうちに泊まりこんでやっていたから。5日会わなかったら「超久しぶり!」みたいな。ほとんど毎日一緒にいた。

――馬場ちゃんの家が拠点になっていたっていうのは、けっこう重要じゃないかと踏んでいるんですが、どうでしょう ?

馬場:うん。東高円寺のうちがあったから今にも繋がる。

――他に入り浸っていたアーティストはいますか?

馬場:TOKYO NEW WAVE 2010に参加してた人はよく来てる。ARTLESS NOTEやシャムキャッツはもちろん。太平洋と、太平洋をその時プロデュースしてたオワリカラのヒョウリ君(※タカハシヒョウリ)。SEBASTIAN Xのメンバーもほとんどみんなうちに来たことがある。

それ以外では、タイキックやヤングもよく来てた。あと、大車輪っていうイベントやっていたケーイチとか、昆虫キッズの翔ちゃん(※高橋翔)とか、王舟とか。大森靖子も来たことがある。ちなみに、うちで(大森靖子&THE)ピンクトカレフをやろうって決めたらしい。とにかくその辺の友達が毎日のように来て、作業したり、飲んだり遊んだりずーっとしてた。

――だんだんと、今も活躍するバンドやアーティストの名前が見られますね。

馬場:それで、シャムキャッツのDEMO SINGLE SERIESの3作品作り終えたあたりから、他のアーティストにも誘われるようになった。

――シャムキャッツでの功績が認められたんですね。

馬場:シャムキャッツの後にがっつりやるようになったのはスカートかな。シャムキャッツと昆虫キッズがよく対バンしてて、その関連で昆虫キッズと仲の良いスカートの澤部(渡)君から、「僕、宅録に限界を感じるんですよ。ちょっと手伝ってくれませんか?」って言われて、それから。

――スカートの皆とは、よくオルグで一緒にゲームをやってましたね。

馬場:うん。仕事相手である前に友達。基本、仲の良い友達しか録ってない。録ってから仲良くなる場合もあるけど。

――このあたりでオルグで働くようになるのでしょうか?ちなみに、馬場ちゃんが働いてた職場が潰れてしまったあとはどうしてたんですか?

馬場:知り合いのレコーディングスタジオでアシスタントやったり、吉祥寺のGOK SOUNDを手伝ったりとか。ちょうどスタジオ潰れた時期に、現在は森は生きているの録音やPAなどをやっている葛西(敏彦)さんや、当時シャムキャッツの録音やPAやっていたKCさん(※岩谷啓士郎)と出会って、その2人の仕事を手伝ったりしてた。

――GOK SOUNDとはなにか教えてください。

馬場:レコーディングとかPAとかなんでもするスタジオ。大友良英さんやJOJO広重さんなどをやっている有名なエンジニアさん(※近藤祥昭)がいるけれど、私達に近しいバンドも録音で使ってたりもしてる。私が初めて行ったのは、the mornings のレコーディングに遊びに行った時で、そこで近藤さんと喋って、「君エンジニアさんなの?ちょっと名刺置いていってよ。」って言われて、それから呼ばれるようになった。

――リストを見る限り、2013年から2014年でものすごく携わる作品が増えてますね。これはなにかきっかけがあったのでしょうか?

馬場:ディスクユニオンの仕事がめちゃくちゃあるかも。ディスクユニオンのマイベストっていうレーベルに金野(篤)さんっていう宮崎駿みたいな名物A&Rがいて、その人から仕事をどんどんもらうっていうのがある。去年だと藤井洋平とか、ぱいぱいでか美とか。

――最近はレーベルの方から仕事として発注されることが多くなったってことですね。あと、メジャーデビューした大森靖子さんもかなりやってますね。きっかけを教えてください。

馬場:もとを辿るとTemple Bookっているバンドがいて、太平洋・うみのての笹口さん(笹口騒音ハーモニカ)に「Temple Bookの録音したいんですけど、僕が録ると音が悪くてTemple Bookの良さが伝わらないんですよ。馬場さん録ってください。」って頼まれて録って。そのTemple Bookの出来上がった音源を聴いた靖子ちゃんが、「私もこんな風に録って欲しい!!」って言ってくれて…最初冗談かと思ったんだけど。

――その頃、大森さんはもう知名度があったときでしょうか?

馬場:その時はまだクアトロワンマンやってないし、そうでもないんじゃないかな。はじめは5畳のリハーサルスタジオで2人で録った。

――大森さんを録って、これがきっかけに仕事も増えた、みたいなことはありましたか?

馬場:実質的な仕事としてはそこまで広がってはいないけど、「大森靖子(の音源)聴きました」って言ってくれる人は多くなった。外向きにはかなり広がったのかも。

――提供してくれたリストには、今回アップしたリストには載せられない未来の日付や発売日未定の音源がありますが、これは現在進行性で進んでいるもの?

馬場:今録っているのもあるし、もう録り終わってて、どうやって出るんだろう?いつ出るんだろう?よくわからないものもある。もう録り終えて、レーベルも決まったけど、まだちゃんとしたことが決まってないものとか。

――レーベルが決まってなくても先に録る場合ってけっこうあるんでしょうか?

馬場:インディーズだと、とりあえず録って、ものができてからいろんな人に聞いてもらって…ってこともある。出来上がってみないとレーベルも判断しずらかったりするし。そうやってP-vineに持って行ったのが吉田ヨウヘイgroupだった。

――もう2014年の話ですね。

馬場:出会ったのは2013年だけど、録ったのは2014年の頭だね。吉田ヨウヘイgroupは録音だけじゃなくて、PA関連も絡んでくるからまた話すと面倒臭くなるんだけど…。

――いや、そこを聞かないと馬場ちゃんの現在の仕事ぶりわからないですからガッツリ聞きますよ!(笑)