レコードとインディーシーンがクロスする場所 ココナッツディスク吉祥寺店・矢島和義インタビュー


  
スカートが他のインディーバンドと違う点があるとすれば、2010年にココナッツディスクという場があったことです。

東京インディーシーンを牽引し、今年カクバリズムから新譜『CALL』を発表したスカートの澤部渡は、5〜6年も前のTwitterのダイレクトメールの履歴を掘り起こしながらそう語ってくれた。そして今回の主役・ココナッツディスク吉祥寺店店長の矢島和義も、自身の店に中古レコードだけでなくインディーで活躍するアーティストたちの新譜を置くようになった一番大きなきっかけはスカートの自主制作ファースト・アルバム『エス・オー・エス』(2010)を置いてからだったと語る。
店では定期的にインストアイベントなども開催される。今年6月に行われたミツメの新譜『A LONG DAY』のリリース記念インストアライブは、過去最大の来場者を記録。店内に入れない人が続出し、CD・LPともに完売した。インストアライブには盟友のスカート澤部も駆けつけた。写真中央・矢島氏の手には『A LONG DAY』のLP。こんな日が来るのを5年前では想像できなかったと語る。そんな矢島氏は一体どんな人物なのか。10代で渋谷系音楽にのめり込み、CD全盛期の1999年に吉祥寺店をオープンした彼が経験するのは、90年代末のアナログブームと2000年代のレコード不況、そして2010年代ここ数年で再び起きたレコードブーム…。そんな時代背景とともに、中古レコード盤屋の店長がどのようにしてインディーバンドと繋がるようになったのか詳しく話を伺った。

取材・文 / 藤森未起 写真 / 本人提供

矢島和義
1976年生まれ。東京都出身。ココナッツディスク吉祥寺店店長。学生時代にアルバイトで働いていた中古レコード盤屋・ココナッツディスクが吉祥寺店をオープンするのを機に店長に就任。1999年開店、現在16年目。中古のアナログレコードを取り扱うと同時に国内インディーで活動するアーティストの自主音源や新譜を取り扱ったことで、同時多発的に旺盛した2010年代日本のインディーシーンにおける重要参考人の一人となる。あだ名はヤジー1)矢島:このあだ名で呼ぶのは主にホムカミのメンバー。最近シャムキャッツ夏目知幸がそこに乗っかって呼んでくるようになりました笑

フリッパーズ・ギターを好きになって、今まではロックくらいしか聴いたことがなかったけど、ロックだけ聴いていちゃダメだってなったんです。(矢島)

――まずはじめに、矢島さんとはどういう人なのか…を掘り起こしたいんですが、矢島さんが音楽を聴くようになる一番最初のきっかけを教えて下さい。

矢島:一番最初はビートルズですね。小学校4年生くらい…1980年代半ばくらいがその頃で、漫画がすごい好きだったから当時のレトロブームに感化されて、手塚治虫とか藤子不二雄とか古い漫画ばっかり読んでいました。その流れで懐かしの文化を載せているような図説の本を見てたら、当然ビートルズも紹介されていて、見た目がかっこいいなと。当時、チェッカーズみたいな頭ツンツンでちょっと不良っぽいのが流行ってたんだけどあんまりそういうの好きじゃなくて、ビートルズも実際は不良なんだけど僕から見たらすごくお坊ちゃんなルックスで髪型で、それがかっこいいって思っちゃったんですよね。親がダビングしたテープを持っていて、それを聴いたらもうすごくハマっちゃって。小4くらいだとビートルズを聴いてた人なんて全然いなくて、仲の良い2〜3人と一緒に音楽にのめり込んで、彼らとだけ聴いていたんだけど、バンドブームになって、それまで話が合わなかった奴らとも音楽の話ができるようになるのが小5〜6年くらいですね。その頃には音楽が一番好きになってました。

――小学生の頃はどうやって音楽を吸収していったんですか。

矢島:ラジオですね。当時はFM雑誌っていうのがあって、2週間分の番組が全部一覧で載ってて、何がオンエアされるのかも書いてあったんですよ。それを買ってきて全部見て、蛍光ペンでこれは絶対聴くとかメモして、そこで流れる音楽、知らない聴いたことがない音楽があったら全部録音して、そこだけ切り取ってテープでダビングしてっていうのを友達2〜3人でやってました。ビートルズが好きだったから、ビートルズのメンバーがそのあとにやった音楽や、ビートルズと同じ時代の音楽を中心に聴いていましたね。

『FM STATION』1984年3月26日号、ダイヤモンド社

『FM STATION』1984年3月26日号、ダイヤモンド社、表紙

FM雑誌はいくつか種類が出ていたけど、僕がひいきにしていたのは『FM STATION』と『週刊FM』の2誌。当然2誌いっぺんには買えないので、毎回特集記事やインタビューの人選など誌面をみて悩んでどっちかを買っていました。 『FM STATION』は毎号、鈴木英人さん(山下達郎の名盤『FOR YOU』のジャケを描いた方)が表紙のイラストを担当していてシティポップ流行りの今、かなりジャストな感じだと思います。『週刊FM』の方はもう少し質実剛健な感じで、よくビートルズの特集記事も掲載してくれていたのも嬉しかったですね。(矢島)

――バンドブームが来てからはどうでしたか? 

矢島:中学の頃にイカ天とかテレビでやってて、バンドブームだったんでバンドっぽいアーティストもテレビに出ていて聴いてましたね。ユニコーンとかブルーハーツとか、たまとかも好きで。その流れでフリッパーズ・ギターですね。当時TBSのドラマで、主題歌を毎回バンドっぽい人が手がける枠2)TBS金曜9時枠の連続ドラマ。『予備校ブギ』以前にその枠で放映されたドラマ『はいすくーる落書き』では、主題歌にブルーハーツ「TRAIN-TRAIN」が採用されている。があって、その枠の主題歌になったバンドは絶対ブレイクするっていう法則があったんですよ。その枠で、僕が中2の時に『予備校ブギ』っていうドラマがあって、その主題歌がフリッパーズ・ギター(恋とマシンガン)だったんですけど、今までと全然違うって思ったんです。僕が好きな60年代の音楽と似てるけど、どこか違う。ちょっとおしゃれな感じで、これは世間でも流行ってるけど自分も好きな音楽だ…時代と好きな音楽が合致したんじゃないかって思って。フリッパーズを好きになってから新しい聴いたことのない音楽も好きになっていって、中2位から高校生までは完全にフリッパーズとその周辺の音楽に夢中になってましたね。

――いわゆる『渋谷系』と言われるシーンですよね。やはり、彼らの参照した音楽っていうものを聴いて音楽を掘り下げていったんでしょうか。

矢島:そうですね。フリッパーズ・ギターを好きになって、今まではロックくらいしか聴いたことがなかったけど、ロックだけ聴いていちゃダメだってなったんです。それまではロックの名盤を紹介している本とかを読んで聴いて学習していたんだけど、そういった教科書的なものには全然載っていないものを彼らは好きだから、そんなことやってちゃダメなんじゃないか…いっぱい聴かなきゃまずいって焦りました。フリッパーズ・ギターはラジオもやってたんですけど、2人が喋る時間は30分のうち最初と最後の3分くらいしかなくて、2人は曲を紹介するくらいしか喋らない。あとはひたすら音楽が流れるっていう番組。とにかく2人の好きな曲をかけるみたいな番組をやってて、それを毎週聴いて、ネオアコとかインディー・ポップとか映画音楽とかジャズとかを聴くようになって、そこで相当学んだというか吸収したというか。それで次の週末にレコード屋に行って買える範囲で買うみたいな。中学から高校のときですね。

『宝島』1991年8月号、宝島社

『宝島』1991年8月号、宝島社、113P

FM横浜で毎週火曜19時30分からの放送されていたフリッパーズ・ギターの『マーシャンズ・ゴー・ホーム』。『宝島』に連載していたページにはラジオで流したプレイリストと簡単な解説が掲載されていて、これをチェックするのも楽しみでした。(矢島)

――当時はレコード屋がたくさんある時代だったかと思いますが、よく行っていたレコード屋さんがあれば教えて下さい。

矢島:よく行っていたのは渋谷のZESTとか新宿のラフ・トレード・ショップっていうお店ですね。そのお店が海外の新譜の7インチとかLPとかを扱う2大代表的なお店で、毎週一回絶対行っておかないと欲しいものが買えなくなっちゃうみたいな感じで行ってました。あとは、池袋にあったオンステージヤマノっていう輸入盤屋さんが好きで放課後よく行ってましたね。そこは60年代ポップスとかも強くて、たまにデットストックみたいな感じで、廃盤で流通してないようなレコードがいっぱい置いてありました。あとは CDですけど、WAVEとかHMVとかそういうお店も。

zest
zest

ZESTのレコード袋。(本人私物)
この袋を手に、渋谷を歩くというのがごくごく一部でステータスでした。(矢島)

――どういう情報を頼りにレコード屋を見つけて、レコードを買うんですか。

矢島:レコードマップっていうのがちょうど出たくらいなんで、行ったことのない店は全部回ってみるみたいな感じですかね。当時は輸入盤の7インチとかすぐなくなっちゃったんで、試聴もできないし、書いてあることを頼りに買うしかない。迷って買わずに次の週に来るともうなくなっちゃうから買っておかなきゃいけなくて、だからいっぱい失敗とかしてましたね。すぐ高くなっちゃうものもありました。もう大学生の時ですね。高校終わりくらいからそんな感じになってました。

『レコードマップ』'91年度全国版、学陽書房

『レコードマップ』’91年度全国版、学陽書房

これを本屋で見つけたときはちょっと衝撃でした。世の中にはこんなにたくさんのレコード屋がある、という事と、こんな本が存在しちゃうくらい世の中には(僕みたいに)レコードを買うのが好きな人がたくさんいるんだ、という事がわかったから。(矢島)

――大学生のときにココナッツディスク池袋店で働き始めたとお聞きしました。自身もレコード屋さんで働くようになって、働いて変化とかありました?

矢島:ありましたね。もうレコード聴き放題なんで。そこで初めて聴いて好きになったレコードやジャンルが本当にいっぱいあると思います。そこで一緒にバイトしてた人とやっぱりこれがいいあれがいいみたいな話をしたり、良いだろうと思われているレコードは聴きすぎちゃったんで、もうつまんないだろうな思うような、100円コーナーとかで売っているようなものの中から良いものを探してみたり、そんなことをやってました。僕がバイトで働いていた頃は、今流行っているシティポップなんて当時は一番ひどいランクだったんですよ。誰も買わない、100円でも買わないみたいな。僕らはそれを聴き放題だったから、僕たちの中だけで再評価してたりしていた。だから今、それが人気だっていうのはすごくびっくりです。当時は本当に僕らだけが好きだって思ってました。

――シティポップの評価が低い時代があったというのは、意外でした。

矢島:もちろん山下達郎やティン・パン・アレーなどはちゃんと評価されていました。でも、逆に今超レア盤となっている東北新幹線3)山下達郎や竹内まりやのレコーディングセッションやライブツアーでも活躍した山川恵津子と鳴海寛による男女ユニットなどは特価コーナーです。シティポップとかフュージョンとかAORって、出た当時(70年〜80年代)はすごく売れて人気があったから、たくさん数があったんですよ。だけど僕らがレコード屋でバイトしていた頃は再評価されないし、数もあるし、誰も求めていない。今はトロピカル4)矢島:ツイッターのプロフィール欄に「トロピカル系レコ屋」と書いてあるのは、2012年くらいに「バナナレコード無き今、吉祥寺にトロピカル系の店名のレコード屋はココナッツだけになってしまった」みたいなツイートをしてるのがあって、それを見つけてRTして「トロピカル系レコ屋の灯を消さずにがんばります」ってツイートした事がきっかけです。この2012年の時点でもトロピカル、というワード/気分は特にイケてるって感覚はなかったはずです。みたいなテイストが良いとされていますけど、90年代や2000年代初めはこういうのはダサい、みたいな感じだったんですね。だから、今それが良いみたいにされているのはびっくりというか、何があるかわからないなって思いますね。昔は店の外の道に面したでかい窓に、夜景というかマンハッタンのビル群みたいなシートが貼ってあったんですよ。こんなのダサいからやめようって言って剥がしちゃったんですけど、今考えたら、それがあったらかっこいいってされるんでしょうね。

    

References   [ + ]

1. 矢島:このあだ名で呼ぶのは主にホムカミのメンバー。最近シャムキャッツ夏目知幸がそこに乗っかって呼んでくるようになりました笑
2. TBS金曜9時枠の連続ドラマ。『予備校ブギ』以前にその枠で放映されたドラマ『はいすくーる落書き』では、主題歌にブルーハーツ「TRAIN-TRAIN」が採用されている。
3. 山下達郎や竹内まりやのレコーディングセッションやライブツアーでも活躍した山川恵津子と鳴海寛による男女ユニット
4. 矢島:ツイッターのプロフィール欄に「トロピカル系レコ屋」と書いてあるのは、2012年くらいに「バナナレコード無き今、吉祥寺にトロピカル系の店名のレコード屋はココナッツだけになってしまった」みたいなツイートをしてるのがあって、それを見つけてRTして「トロピカル系レコ屋の灯を消さずにがんばります」ってツイートした事がきっかけです。この2012年の時点でもトロピカル、というワード/気分は特にイケてるって感覚はなかったはずです。