日中台を駆け巡りアジア・インディー・シーンの架け橋を作る 寺尾ブッタ氏インタビュー


  
ここ数年、国内のインディー・シーンで活躍するアーティストが次々とアジア公演を行ったり、国内でアジアと日本のアーティストの対バンを見たりすることが珍しくなくなった。こうした動きをよく見ると、単なるビジネスという立場を超えた貢献者…重要人物が浮かび上がる。今回取材させていただいたのはそんな重要人物の1人、寺尾ブッタ氏である。日本と台湾両方に拠点を置くブッタ氏の仕事に着目し、仕事の話や台湾のライヴ事情、また台湾に拠点を置くようになるきっかけなどを伺った。

取材・文 / 藤森未起 写真提供 / シャムキャッツ

寺尾ブッタ
東京・青山のライヴハウス〈月見ル君想フ〉のスタッフ、店長を経たのち、2014年には海外公演の企画手伝いをするエージェンシー「浪漫的工作室」を立ち上げ、〈月見ル君想フ〉の台北店を開店。日中台間のライヴの企画・サポートのほか、音楽レーベル『BIG ROMANTIC RECORDS』を運営し、洪申豪(ex.透明雑誌)や落日飛車(Sunset Rollercoaster)などの日本側のプロモーターや、WEBサイト上で両国の音楽・文化情報を発信。日本と台湾を行き来しながら多方面で活動中。※カバー画像はシャムキャッツ・アジアツアー時の写真。円卓の中央奥に座っているのがブッタ氏。

アジア・インディー・シーンの過渡期?台湾のライヴ事情

――Mikikiの記事によると、2015年11月に青葉市子さんのアジア・ツアーをコーディネートしたということですが、これがきっかけだったとお伺いしていますが、それから現在にかけて、ますますそういったアーティストの海外公演が増えているように思えます。実際どうですか。

寺尾:ここ数年、アジア全体で日本のバンドを手がけるプロモーターも徐々に増えてきてる気がする。だから、日本のバンドにとってのチャンスも増えてると思う。なかでも台北って、台湾の一都市といっても(台北市と新北市合わせて)500万人くらいいるから、規模がでかい。ライヴハウスに行く層もある程度いるし、日本の音楽シーンの情報も溢れてる。東京である程度売れている日本のバンドだったら、台北でライヴをやったらお客さんもじゅうぶん来る可能性がある。だからアジアでツアーをしたい日本のバンドはまずは台北でやるのもいいと思う。

――アジア全体で日本のバンドを手がけるプロモーターが増えて、日本のバンドにとっては出演する機会が増えて、気軽に海外公演できるような環境になっている?

寺尾:バンドが海外公演するときは、ビザの問題があるかな。海外でライヴをする場合は、外国人労働者っていう位置付けになるから、ビザを取得して初めて合法になる。そこで多少手間やお金がかかるから、気軽ではない部分があるし、現地での協力者、つまりは現地のプロモーターの協力が必要ではある。なのでバンドに合った良いプロモーターと巡りあえるかどうかがポイントになると思う。自力で開拓してるバンドもいるにはいて、それは本当に大変なことだと思うけど、そういう勢いは大事だと思う。

――ここ最近そういった仕事をしていて、特に印象に残っているエピソードやライヴがあったら教えてください。

寺尾:たくさんバンドのライヴを見てきて、このバンドだったら大体このくらい集客があるだろう、というのがなんとなくわかってきて、そうなってくると逆に、その予想をどれだけ覆せるか、限界を超えれるか、ということに興味がある。要するにマーケットを広げたいということなんだけど。その点でいうと、3月にやった「夜明けの街」というイベントで、若手のバンドを6組ブッキングして、日本からはtaiko super kicksとカネコアヤノさんに出演してもらったんだけど、このイベントはかなり手応えがあった。台北では、知らない音楽に対しては興味をあまり持たれないというか、掘り下げない傾向があると感じてて、その状況を徐々に変えていきたいとずっと思ってるんだけどなかなか難しい。だけど、このイベントでようやく少し希望が持てたかな。

――今年になって、BIG ROMANTIC RECORDSのWEBサイトやSNS上で、2manyrecordsのスパイキーさん名義での情報発信や企画が見られるようになりました。スパイキーさんについて教えてください。

寺尾:彼は、2manymindsというレコードショップをやっていたんだけど、本当に最近お店を畳んで、月見ルのスタッフになったんだ。彼は元々有名なDJでもあって、かなり音楽詳しいし、これから一緒に色々企てていくので宜しくお願いします。

台北・公館のライヴハウス『THE WALL』のすぐ近くにあったレコードショップ『2manyminds』店内には、日本のインディーで活躍するアーティストのレコードもたくさん置かれていた。(筆者撮影)

――ブッタさんは落日飛車(Sunset Rollercoaster)の日本側のプロモーターもされていますが、昨年2017年は落日飛車が立て続けに日本国内の野外フェスに出演していたのが印象的でした。出演の経緯などエピソードがあれば教えてください。

寺尾:落日飛車は音源も素晴らしいけどライヴも凄いので、ぜひいろんな人に観てもらいたいと思ってて、とりあえず去年は日本の色んなフェスに出るぞ、という目標を立てて、それをいろんな人の協力のおかげで実現できたので、本当に感謝しかないっす。

りんご音楽祭2017

寺尾:このりんご音楽祭のときは、後にWWWでの公演を控えていて、かなりそのライヴに向けて作りこんでたので、集中してできたライヴだったと思う。フェスにたくさん出させてもらったおかげで知名度もそれなりに広がったと思う。感謝!

――シャムキャッツと落日飛車は過去に何度も共演していて、今回スプリットシングルを発売するにまで至りましたが、どういう経緯で実現したのでしょうか。

寺尾:去年の落日飛車の日本ツアーのときに、何か日本語の曲をやりたいってなって、たまたまツアー車でシャムキャッツのアルバムをちょうどずっとかけてて、これやろう、みたいな感じで自然に決まったんだ。シャムキャッツのことは何度かの共演を通じてもちろんリスペクトしてて、音楽的な部分で感じる部分があるんだろうなと思う。

2017/09/25 落日飛車とミツメのツーマンライヴに寄せて、落日飛車の國國(guoguo)はシャムキャッツの「Travel Agency」のカバー動画をライヴ直前に公開。ライヴ本番では飛び込みでシャムキャッツのVo.夏目が参加し、コラボレーションライヴが実現した。(筆者撮影)

――最近では、中国最大級の野外音楽フェスティバル「草莓音樂節 Strawberry Music Festival ’18」に水曜日のカンパネラが出演する際の渉外を担当したり、5月はOGRE YOU ASSHOLE、6月はYogee New Waves、シャムキャッツなどの中国ツアーがあったり、ますますブッタさんが忙しくなっているように見えます。

寺尾:今多分いろんなことが過渡期で非常に忙しくて、というのも日本のフェスやツアーのシーズンとは別のアジアのフェスやツアーのシーズンというのが存在してて、例えば台湾や中国南部とかは日本の冬の時期でも野外フェスのシーズンだったりして、両方網羅すると一年中休みなしw お正月すら中華圏はひと月ズれてるから、フル稼働可能です。日本のミュージシャンにとっては活躍の機会が増えるということで、とりあえずは良い事なんじゃないかな。 

台湾のバンドシーンから見えた日本と同じ景色

――台湾または中国に興味を持った一番最初のきっかけを教えてください。

寺尾:もともとはバックパッカーをやってたんだけど、結局観光客相手の人としか交わってないし、そういうのはつまんないからやめようと。でも、定住したら見えてくるものがあるかもしれないと思ってどこに住もうか考えたとき、住むなら近いほうがまだ安心だなと思って、中国に住んでみようと。大学の交換留学プログラムみたいなもので1ヶ月北京に住んでみたら、やっぱりすごくよかった。

――どんなところが良かったんですか。

寺尾:当時2000年頃はまだ昔のまま完全に時が止まっているところがいっぱいあった。京都みたいな街もすごく好きなんだけど、建物の年数が違った。500年前…とかじゃなくて、2000年とかそういうレベルのもの。時間のスケールが全く違うと思った。あと街も人も何もかも衝撃的なくらい大きくて、中国は日本の文化の源流ということはわかってはいたものの、ここまで日本と違うのかと思って、それから中国ってめっちゃオルタナティブだなって思えて、好きになった。今は経済発展でだいぶ状況が変わっちゃったんだけど、まだまだ中国のスケールを感じれるところはあるから、ぜひ行ってみてほしい。万里の長城とかね。

中華のものが好きで、それまで台湾に何回かは行ったことがあったんだけど、2010年代以降になって台湾に行って、現地のライヴハウスに行ったとき、バンドのシーンが日本と近いなと思った。大学のサークルで仲間を組んで、最初はコピーバンドを初めて、オリジナルを作り始めて…っていう過程やコミュニティまで想像できた。そういうシーンがあるなら、じゃあ台湾のバンドを日本に呼んだら面白いんじゃないかと思って、台湾のバンドを日本に呼んでいるうちに、台湾でもイベントをやるようになってた。そうしていくうちに、日本には青山月見ル君思フという場所があって活動してたから、台湾でも場所が欲しいなと思って、動き始めました。

月の半分くらいは台湾に行って、最初は事務所を作ってツアーの仕事などを受けながら同時に物件探しをして、2014年12月にオープン。当時は、台湾のことをここからやって行くんだ…!ていう強い意気込みがあった。台湾人には、考えるよりまず行動するっていう気質があると思ってて、思ったこと躊躇せずにすぐやる。そこはまた一般的な日本人の性質とは違っていて、その感じも気持ちよかったんだよね。

でも、お店を作ってからが大変だった。実際台湾では飲食店は競争も激しくて、開店してひと波過ぎた後の低調に耐えられなくて半年経たないで潰れてしまうケースも多い。だから、お店が変わるサイクルが本当に早い。そういう状況において、創業何十年っていう老舗は信頼があるから続くけど、新しい店はなかなか根付かない。でも、ウチはもう3年以上続いてるんで、大丈夫だと思う。 もはや老舗です。

台北月見ル君思フ1階レストランにある物販コーナー。(筆者撮影)

――味覚の違いというハードルはありませんでしたか?

寺尾:味覚の違いはすごくあって、日本人は濃い味が好きだけど、台湾人は外食がメインの人が多いから、日本でいう「家庭の味」も外で食べる。だから、塩辛いと嫌われちゃう。台湾の人からすると日本の普通の食事も少し塩辛いと思うかも。あと、飲酒の習慣も違って、カジュアルな場でお酒はあんまり飲まない。食べながらお酒も一緒にっていう人もあまりいなくて、日本とはお酒の立ち位置が違うのかな。電車よりバイクに乗って移動してる人が多いから、それで飲まないというのもあるのかも。

――実際に料理は現地の人を雇っているのですか

寺尾:泰山に遊ぶ※のベーシストが飲食店の経験があったから、彼を連れ出して、彼がシェフをやってる。最近は台北で有数のカレー屋として認知されてきたかな。台湾人に向けてホームラン打ちまくっている。

台北月見ル君思フのレストランで提供されている特製カレー

※泰山に遊ぶ…寺尾ブッタによりアジア全土より集められたメンバーによる中華DUB幇(bang)。 09’フジロックルーキーアゴーゴー、沖縄国際アジア音楽祭出演にも出演している。

――続けていく上で、大変だったエピソードがあったら教えてください。

寺尾:店の一階がレストランで地下がライヴ会場なんだけど、激しい音楽だと音がどうしても漏れちゃって、近隣との兼ね合いは結構大変だった。だから今は、ライヴだとアコースティックなものしかやっていなくて、普通にライヴをやりたい場合は、外のライヴハウスを紹介するなり企画するなりしてる。店の地下のスペースは、オルタナティブスペースのイメージがあって、壁も白く残してあるので映像もあてられるし、やりようによっては色々できる場所。キャパは座りで80人。ここで色んなアイデアを形にして、交流する場所になってくれればと思います。

台北月見ル君思フ地下イベントスペース(筆者撮影)

――ブッタさんが運営する音楽レーベル『BIG ROMANTIC RECORDS』のWEBサイトでは、アーティストのインタビューやイベント情報など、幅広く情報を更新していますね。

寺尾:日本でも台湾でも両方でシェアできる記事を発信していきたい。あとは日本でリリースやマネージメントをしているバンドの情報発信もそこでやれたら。なかなか手が回ってない部分もあるけど、関わるアーティストもどんどん増やしていって、国を限定しない情報サイトとして運営していきたいと思ってる。日本の人には、台湾行くときにどんなアーティストがいるとか、どんな場所があるとかの参考にしてもらえれば。現地に行かなくても、このサイトを見て、楽しみながら理解を深めてくれたら嬉しいです。

INFORMATION

split 7 inch「Travel Agency / cry for the moon」


2018年6月14日発売
品番:BRRCD-023
収録曲:
A.Sunset Rollercoaster「Travel Agency」(Siamese Cats cover)
B.Siamese Cats「cry for the moon」
BIG ROMANTIC RECORDS