音楽の場が生まれ、バンドが生まれること。東北ライブハウス大作戦LIVEHOUSE FREAKS出身バンドZALUSOVA・FUNNY THINKインタビュー


東日本大震災後の2012年、東北ライブハウス大作戦によって岩手県大船渡市に誕生したライブハウス、LIVE HOUSE FREAKS。ライブハウスができれば、そこで育ち、巣立っていくバンドがいる。当たり前のことのように思えるが、「当たり前にできるようになる」ということ自体がきっと特別なことだった。今回は、そのFREAKS出身バンドで、地元を離れながらも、最も精力的に活動を続けているZALUSOVAと、その後輩にあたり、FREAKSを拠点に活動している高校生バンドの中心であるFUNNY THINK、二つのバンドに話を聞いた。彼らが育った大船渡市のFREAKS、そして同じ気仙地域で行なわれるロックフェスのKESEN ROCK FESTITVAL、そのようなひとつの地域(=気仙)におけるライブハウス、フェス、バンドの関係性がこのインタビューから見えてくる。
自らが育った土地・大船渡で活動拠点を手に入れることができた彼らが、ライブハウス大作戦を通して多くのバンドと共演しながら、何を思い活動しているのか。そして、不可避である震災についてどう向き合って音楽活動をしているのか。駆け出しのバンドである彼らのリアルな声を聞いた。

取材・文 / 紺野泰洋
写真 / 益山嵐

 

被災地っていうイメージよりはこの街だったり地域だったりを前面に出していきたい -ZALUSOVAインタビュー

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ZALUSOVA
岩手県大船渡市出身。1996年生まれ、現在20歳。メンバーは同級生であった鷲田剛生(Vo. Gt)とヨシダシンタロー(Ba. Cho)。高校一年生の時、偶然にもFREAKSに行ったことがきっかけとなって前ドラムと3人でバンドを結成。2013年には陸前高田市でRAZORS EDGE、F.I.B、 MEANINGらが主催したYOUR FESTIVAlに地元代表として出演。LIVE HOUSE FREAKSでも定期的に自主イベント“OFUNATOCALLING”を開催。1stdemo配布中。ライブ・デモCD等の問い合わせはTwitter(@zalusova_band)まで。

ZALUSOVA 左からシンタロー(Ba)、剛生(Vo.&Gt.)

ZALUSOVA 左からシンタロー(Ba.&Cho.)、剛生(Vo.&Gt.)

――まずは2人が音楽、ライブに触れるきっかけになった出来事を聞かせてもらえますか?やはり、このFREAKSの存在が大きいのでしょうか。

シンタロー:前のドラムも含めて三人でKESEN ROCK FESTIVALには行っていたんですよね。それで、FREAKSができたのは、高校1年の8月。高校入って、FREAKSができるまでは特にバンドを組むとかはなく。そんな時、たまたま剛生と二人でFREAKS近くの岸壁に釣りをしに行ったんです。でも何も釣れず、すぐに竿がバキッと折れて(笑)。「うわー最悪だよ」って言ってた帰り道でFREAKSに明かりがついていて。

剛生:ライブハウスあるらしいよって聞いてたので、二人で行って。

シンタロー:そうしたら、スタッフの方がいて、話してたら、「今度ライブでない?」「マジすか?ドラムまだいないんですけどね」って感じになって。その時に前ドラマーがちょっと興味ある感じだったので、ドラムやらせようってことになりました。それで9月のライブに出るために、一ヶ月半くらいで急いでニルヴァーナを三曲だけ練習してライブに出たのが一番最初ですね。

――バンド結成のきっかけは、突然だったんだ。

シンタロー:タイミングがすごくよかったと思うんです。KESEN ROCK FESTIVALを見て、バンドっていいな!って思って。東北ライブハウス大作戦からFREAKSっていうライブハウスができて、じゃバンドやるか!ってなって。それで、震災復興、人と街と世代を橋渡しするっていう大作戦の考えに共感してくれてFREAKSに来てくれた、太陽族やKen Yokoyamaさんとかいろいろなすごいバンドと対バンをさせてもらったし。そこでググっと自分たちの熱量が高まっていったっていうのはあります。

――やはりそれらのバンドからの影響もある?

シンタロー:今、この地域には音楽の基盤というか根っこというか、シーンがまだできてないと思うんです。だからこそ、そういう地域で音楽を始めるってなったら、いきなりガッと始めるわけなんですね。俺らもそうだった。その意味で、FREAKSに来てくれるたくさんのいいバンドがすごくありがたいと思っていて。そういうたくさんのバンドのライブや人との繋がりを大事にするという姿勢を見て育って、今でもその人たちと自分たちが繋がりをもっているからこそ、今も俺らはバンドを続けられているんだと思います。とにかく思いっきりやったことがいい方向に行けばいいし、悪い方向に行ってるなと思ったらはっきり言ってくれる、相談に乗ってくれる人たちが周りには大勢いるので。

剛生:そうですね、もう何もわからない子どもだったので。まあ、今でも子どもなんですけど。同級生でやってる人もいなかったからどうやったいいのかもわかんないし。

――だからこそ、自分たちがこのライブハウス、この地域のバンドなんだって気持ちも大きくなった。

シンタロー:自分たちがFREAKS出身ていう自覚はありますね。ライブ出るときは必ず自分たちが大船渡出身ていうのは言うようにはしてます。けれども、あまりZALUSOVAとして被災地を発信して行くっていうスタンスはないですね。むしろ被災地っていうイメージよりはこの街だったり地域だったりを前面に出していきたいっていう気持ちはあります。

剛生:やっぱり、同じ街でも意識、一人一人が思っていることの差って結構あると思うんです。震災は確実にあったし、いろんな思いはあるけど、とりあえず、今はとにかくここが好きっていう感じでバンド活動をやってますね。

シンタロー:俺らがいろんなところでライブして、何年後かでもいいからこの場所を俺らから知って、いつかフラッとFREAKSに来てもらえればいいかなって今は思ってます。

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――そういうこの地域、街に対する様々な想いをもちながら、今は剛生君は盛岡、シンタロー君は福島と離れて暮らしていると思います。離れたからこそ、見えるFREAKS、地元の景色というものもあると思うのですが。

シンタロー:今日来て思ったのは、あきらかに他の場所とテンションは違いますよね。FREAKSで働いている人を筆頭に、本人たちがそうおもってるかはわからないですけど、仕事っていう感じじゃなくて楽しみながらやってるなってすごく感じますね。リハからもうずっと笑いっぱなしみたいな。ああいう雰囲気ってなかなかほかのライブハウスではないじゃないですか。リハはこうみんな静かな感じだと思うんですけど。いい意味で和やかで緩い(笑)。

剛生:人は優しい。あったかいです。今日のライブで演奏した曲も暗い感じじゃないですか。それでもあんな感じで盛り上がってくれるのは、やっぱりFREAKSだけかなって思いますよね。

――今はデモ音源も配布しています。レコーディングはどうでしたか?

シンタロー:今回のデモCDの名前、「Home Demo」って本当に家で録ったからこういう名前なんですよ。普通のただの子供部屋にドラムおいて(笑)。

剛生:ベットの横にドラムセット置いて、マイクで拾って。でもマイクスタンドがないので、ベッドに釣り竿をガムテープで貼ってっていう苦肉の策で録ったんです(笑)。

シンタロー:だからお金はかかってないんです。CD代とパッケージ代だけで音源ができたので。なんていうかそれは割と大船渡だからこそできたことで。近所迷惑を気にせずにドラムもとれちゃうみたいな(笑)。そういうアドバンテージ(笑)を存分に生かした結果があの音源になってるので、そういうお金を掛けずにできちゃうところは後輩とかに感じてほしいなっていうところはありますね。

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――そんなアイデンティティを持ちながらどんどんZALUSOVAの活動が続いていくのだと思います。

剛生:自分は小2からギターを始めてずっと1人で曲を作ってました。それがFREKASが出来て、ZALUSOVAを組んだことで初めて自分の曲を多くの人の前で演奏できるようになりました。ZALUSOVAの曲には自分が考えている事や想いを全部込めています。自分はバンドが好きだし、一番自分に合ってるんだと思います。なのでこれからもどんどん曲作ってライブをガンガンやりたいです。

シンタロー:いろんな音楽のやり方があると思います。そういういろんな音楽に触れるチャンスとしてKESEN ROCK FESTIVALだったり、FREAKSだったりがこの地域にはあったんだし、これからもあるんだと思います。この地域に住むみんながそこで音楽を聴いて、見て、吸収したらいいんじゃないかなって思いますね。もともとここにはすごくいい人、キャラが濃い人がいっぱいいます。そこに音楽がしっかりと乗れば、絶対にいい音楽ができる思う。だからこそ、どんどん、この場所にいろんな人が来てほしいです。


被災者って見られても特別扱いはないし、不快感もない。伝えていくこと。それも自分たちの使命だと思う -FUNNY THINKインタビュー

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funnythink_profileFUNNY THINK
岩手県大船渡市在住。1998年生まれ、現在現役高校生三年生。金野一晟(Vo.Gt)、斎藤志公(Gt.)、吉田健人(Ba.)、森亨一(Dr.)からなる。メンバーが中学三年生の時に結成。昨年、2015年には東北地方最大級のフリーフェスであるいしがきミュージックフェスティバルにも出演。ライブ等のお問い合わせはpeach040210@gmail.comまで。Twitter(@FUNNYTHINK_Info)も有り。

FUNNY THINK(左から、森(Dr.)、吉田(Ba.)、金野(Vo.&Gt.)、斎藤(Gt)

FUNNY THINK 左から、森(Dr.)、吉田(Ba.)、金野(Vo.&Gt.)、斎藤(Gt)

――まず最初に、結成のきっかけを教えていただけますか。

金野:バンドを始めたのは中三の頃、ハイスタ(※Hi STANDARD、以下ハイスタ)がきっかけかな。中学校の先生からハイスタってバンドがいるって最初は聞いて。調べてみると、ハイスタは震災復興のために再集結したので、被災地にいる僕らからすると本当に心強かったし、自分たちの心を助けてくれたヒーローでした。そして、AIR JAM2012のDVDを見て、自分たちも音楽で人を少しでも助けれないかなって思ったんです。

斎藤:最初は、ボーカルの金野とギターの俺が楽器をやっていて、ハイスタとかを聴いてバンドやりたいってなったんです。でも周りに楽器やってる人が全然いなかったから、仲良かった吉田と森を連れてきて、それぞれをベースとドラムにしたって感じですね。

――そのころにはもうFREAKSもあったと思うんですが、やっぱりそこに来てたバンドの影響は大きいんだ。

森:めちゃくちゃ影響はありますね。ライブハウス大作戦に賛同してFREAKSに来てくれた、OVER ARM THROWだったり、G-FREAK FACTORYだったり、COUNTRY YARDだったり、最前線で活躍するバンドさんたちと一緒に対バンすることができて刺激的でしたし、そこで誰かのために音楽をやれるバンドになるっていう自分たちの夢がはっきり輪郭を持った感じがしたというか。

――そうして、徐々にFREAKSにも出演していくんですね。

金野:最初は中学校も近かったZALUSOVAのシンタロー先輩にいきなりLINEで誘われて。なんで自分たちを知っていたのかはわからないんですけど。それで、初めてやったライブは1曲しかやっていないことが地味に思い出なんです(笑)。同じ曲を一回のライブで二回やって(笑)。

森:しかも初めてのライブだけど、結構人が来たんですよ。それでこっちは一曲しか準備してねえよっていう(笑)。

吉田:その時は、PAのところから、オキナワさんが「もう一回やれ!」って言ってくれて。

――オキナワさん?

金野:フリークスの前店長さんです。オキナワさんにはライブハウスっていうものを教えてもらった感じですね。俺らそれまでライブハウスに行ったことがなかったので、それをもう一から全部。

吉田:リハの仕方とかケーブルのまき方とか。全部ね。

森:最初は、リハと練習がごっちゃになってるから練習みたいな感じになってて、それで怒られて。でも一番お世話になった。オキナワさんのおかげでライブもいろんなバンドと対バンできたんだし。

吉田:「曲練するためにリハがあるんじゃねえぞ」っていってくれたのもオキナワさんだしね。

――それで、みんなにとってFREAKSっていう場所は始まりの場所になったんだ。

森:中三の時、高校受験が三月なのに、二月にG-FREAK FACTORYとの対バンがあって。必死に練習して。

吉田:俺めっちゃ親に言われたもん。ベース捨てるぞって(笑)。

一同:(笑)。

金野:結構ギリギリまでやってましたね。

――やっぱりそれはこのライブハウスがあったから続けられたし、続けられてるっていうところもある?

金野:それは大きいですね。ホームというか、ここは家みたいな感じなんですよ。自分たちの居場所になっていたので。ここがあったから続けてる。たぶんなかったらバンド自体を続けてないんじゃないかな。

森:やれる場所がないから、もう止めっかってなってたと思います。そしてFREAKSのおかげでいろんなバンド、ライブハウスともつながって。

――つながり?

金野:そうですね。やっぱり音楽やってるとつながりってできるじゃないですか。それで知り合いから知り合いに自分たちのことを紹介してもらったりして。例えば盛岡change waveとかthe five moriokaとか、それこそ、いしがき(※いしがきミュージックフェスティバル)もなんですけど。すべてはFREAKSからはじまったって感じですね。

――いしがきにも出演してるんだもんね。

森:いしがきに出るのがひとつの目標だったので。

斎藤:フェスに出るっていう。

吉田:冗談っぽく言ってたけどね。

金野:いしがきの時はステージが教育会館前の高校生限定ステージだったんです。けれど、周りのバンドはほとんど盛岡とか花巻とか内陸出身で。沿岸は多分俺らだけで。心意気としては沿岸代表のような気持ちで演奏しました。

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――震災というのも、君たちが中学生だったときの大きな出来事だったと思います。それでも、それぞれ音楽との出会いがあって、ほかの場所に生まれててもよかったのに、たまたまこの街に生まれて。それで、適切な言葉が見つからないけれども、1000年に1度の地震がたまたま2011年で。それでライブハウスができて、たまたま四人集まって、たまたまバンド、音楽をやってる。偶然過ぎるけど、すごいなって。

吉田:そうですね。震災がなかったらやってなかったんじゃないかなって思う。

金野:盛岡やいしがきでのライブの時は自分から震災のこと、「今のこの瞬間は目いっぱい楽しんで、震災とか辛いことは忘れてもいいけど、絶対風化だけはさせないで、次に繋げて欲しい」ってことをMCで言ったりしていて。そこで、被災者って見られても特別扱いはないし、不快感もない。伝えていくこと。それも自分たちの使命だと思うので。

――だからこそ、このFREAKSって場所がひとりひとりにとって大事な場所になっている。

森:FREAKSには、これからもお世話になるし、自分たちは高校三年生なので、来年、大学受験で県外に出てくってなった時にも、このFREAKSで学んだことを活かして、いろいろなところでライブできたらなと思います。そのためにも、今年中にまず音源を作っていろんな人に自分たちの音楽を発信して行けたらなと。

斎藤:FREAKSはライブではお世話になってるし、温かいというか、居やすいというか。本当にFREAKSがなかったらバンドやってなかったと思ってるので本当にありがたいなと思ってますね。

吉田:FREAKSにはいろんな思い出、ZALUSOVA先輩とかとやってきた思い出がいっぱい詰まってる。これからも離れるけど、ここで帰ってきてやったりしたいなって思いますね。

金野:大船渡FREAKS出身のバンド…例えば、ZALUSOVAだったり俺らだったりってまだそこまで名が知られているわけじゃなくて。だからこそ俺らが一番最初に、東北ライブハウス大作戦のFREAKSから出てきたバンドなんだ!ってなれば、この地域も盛り上がる。もちろん自分たちが有名になるためにバンドをやっているわけではないけど、自分の好きなことをやって有名になれば、それが故郷への貢献につながっていくと思います。あの日に震災があって、そのあともいろんなことがあって。だからこそ、自分たちの音楽で恩返し、感謝の気持ちを返せるようになっていきたいですね。

――それでもみんなが言っているように。高校三年生の今年には、進路のことも現実的な問題として出て来るんだよね。

森:それでも卒業してからもバンドは全員で続けます。

斎藤:そうだね。

吉田:本音でしゃべれる人がほんとにこいつらぐらいしかいないし。

森:そう。バンドは絶対に続けて、東北六県まわっていろんな街でライブできたらなと。

金野:自分たちがどこにいったとしても、そこで必死にやっていきます。音楽はライブハウスさえあればどこでもできるので。例えば東京で、仙台でみんなでやるってなったらそれはそれで問題はないし、どこでやっても自分たちの目指すところは小さくなったりはしないので。それで、いつかこの場所に戻ってきて、KESEN ROCK FESTIVALに出るまでバンドは辞めないです。

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INFORMATION

LIVE HOUSE FREAKS
住所:大船渡市大船渡町字茶屋前57-6 おおふなと夢商店街C棟1号(RACCOS BURGER OFUNATOと同店舗)
公式HP:http://www.go-freaks.com/
公式Twitter:@LIVEHOUSEFREAKS
公式Facebook:LIVE HOUSE FREAKS

RACCOS BURGER OFUNATO
住所:大船渡市大船渡町字茶屋前57-6 おおふなと夢商店街C棟1号(大船渡FREAKSと同店舗。)
営業時間:11:30~15:00(14時Last Order)/ 18:00~0:00(23時Food Last Order)
定休日:木曜日
忘・新年会、誕生会などの予約・貸切可。お問い合わせは TEL0192-47-5552まで。
公式Twitter:@RACCOSOFUNATO

KESEN ROCK FESTIVAL
公式HP:http://kesenrockfes.com/
公式Twitter:@KESEN_ROCK_FES