新宿ホワイトハウスを蘇らせたカフェアリエ店主・向野実千代氏インタビュー


新宿と新大久保の喧騒の間にひっそりと、隠れ家的に存在する喫茶店・カフェアリエ。もともとこの建物は1960年、ネオ・ダダのアーティストの本拠地となった伝説的建物『新宿ホワイトハウス』として知られていたが、現在はカフェに改装。普段は移動中のサラリーマンや新大久保から流れた韓流ファンの主婦などに憩いの場として利用されている。一方、不定期にライヴやイベントができる場としても提供され、その時間になると客層が一変。個性的なアーティストやそのファンが集う。

今回スポットを当てるのは、新宿ホワイトハウスをカフェアリエとして甦らせた店主・向野実千代氏である。筆者が彼女のことを知ったのは、カフェアリエが開店するよりもっと前のことである。実は、ロコマガでも過去にフィーチャーしている昆虫キッズやヤングのほか、活動量の差こそあれ、現在活躍する多くの個性的なアーティストが向野氏の主催した「カワサキ・ティーンズ・プロジェクト」(2003〜2010)出身なのだ。「カワサキ・ティーンズ・プロジェクト」とは一体どんなイベントだったのか? その主催者である彼女がカフェを開店し、数多くのアーティストがここで演奏をしている。昨年5周年を迎えたカフェアリエの店主・向野氏とは一体何者なのか? 彼女の音楽遍歴から、「カワサキ・ティーンズ・プロジェクト」、そしてカフェアリエのことについて詳しく話を伺った。

取材・文 / 藤森未起 写真 / 本人提供

カフェアリエ
新宿百人町にあるカフェ。1957年に磯崎新の設計により、美術家吉村益信氏のアトリエ兼住居として建てられる。白いモルタル塗りから『新宿ホワイトハウス』と呼ばれ、1960年には、ネオ・ダダの活動拠点として注目を浴びた。2013年4月よりカフェアリエとして改装され現在に至る。


グループ・サウンズと同時に、ジャックス、はっぴいえんどを聴いていた10代

――今回のインタビューでは、まず向野さん自身について詳しく教えて欲しいと思います。まずは、音楽を聴くようになった一番はじめのきっかけを教えてください。

向野:音楽というかロックを意識して聴くようになったきっかけは覚えています。小学4年生のときに、友達のうちに遊びに行ったら、ちょっと不良のお姉ちゃんの部屋からビートルズのデビュー曲『Love Me Do』が聞こえてきて、なんだろうこれはと思ったのが最初です。兄たちとお金を出しあってレコードを買ったり、小学生ながらクラスの女子5人くらいでビートルズの映画を観に行ったり、家族全員でテレビの前に座ってビートルズの来日コンサートを見たりしましたね。小中学生のときはビートルズやストーンズでしたが、6つ上の兄の影響もあっていろんなロックを聴くようになりました。高校生の頃は、ドアーズ、ジャニス・ジョプリン、T.REXが好きでした。

――国内の音楽も聴いていましたか?

向野:中学生のときはGS(グループ・サウンズ)ブームで、タイガースのジュリーが好きでした。あと、ゴールデンカップスのルイズルイス加部。二人とも今でも好きです。
私が中1のときに兄が京都の大学に行き、(兄の死後に知ったのですが哲学者の鷲田清一さんとバンドをやっていたらしい)、休みの度にいろいろ新しいレコードを持って帰ってくるので、ジャックスとか、はっぴいえんども、リアルタイムで聴いていました。

――グループ・サウンズを通る一方で、お兄さんの影響でジャックスやはっぴいえんども通るという……お兄さんの影響って大きかったですね。

向野:そうですね。兄がいなかったら知らなかった音楽はたくさんあります。兄の部屋からジャックスの1stアルバムが漏れ聞こえてきたときは、聞いたことのない音楽に衝撃を受け、「とうとう兄ちゃんがおかしくなった…?」と思いましたもん(笑)。で、大学のときに東京に出てきて、最初に見たライヴが頭脳警察。その年にはっぴいえんどの解散コンサートも見ました。最初で最後のはっぴいえんどを観てわかったことは、自分にとってのはっぴいえんどは結局、「12月の雨の日」なんだなぁということです。でも、松本隆ファンだった私は、松本さんの新バンド「ムーンライダーズ」(現ムーンライダーズとは別バンド)も渋谷のジャンジャン1)1969年〜2000年まで存在した小劇場。渋谷公園通りのパルコ横、山手教会の地下にあった。で見ましたよ。

――上京されてから、日本のロックバンドのライヴをよく見に行くようになったんですか?

向野:いえ、そうでもないんです。あまり情報もなかったですし、大学も僻地でしたから。ひたすらレコードを聴いていました。大学3年くらいになったら、好きなロックもなくなっちゃって、レナード・コーエンやニーナ・シモンやバルバラやボブ・マーリーを聴いていましたね。そのまま大学を卒業して、ちょっと身体を壊して実家の福岡に戻っていたところに、友達が「東京では面白いムーブメントが起きている」と言ってテープを送ってくれるんですけど、それが東京ロッカーズのムーブメントでした。フリクションとかリザードとかをそれで知って、彼らを見たいがために、月1回くらい福岡から東京に通っていました。その頃からですね、日本のバンドが面白くなって、いろいろ聴くようになったのは。

――それからずっと日本のロックバンドを追っていたんですか?

向野:80年代はかなりのめりこんでライヴに通っていたのですが、80年代の終わり頃からぱったり面白くなくなって、まったく音楽を聴いていなかったですね。10年くらいはダンスと演劇ばかり見ていました。そのあと、ミッシェル・ガン・エレファントをきっかけに、またライヴに行くようになって、ナンバーガールとかゆらゆら帝国とか、次々と好きなものが出て来て……。

――イベントを企画されるようになったきっかけを教えてください。

向野:1993年に川崎市市民ミュージアムに広報担当で入ったのですが、たまたま広報の仕事にイベント開催が含まれていたんですね。館中央の吹き抜けの大空間を使って年に何回かイベントをやるという。イベントの企画など未経験だったので最初は前任者から引き継いだ仕事や館内の人の繋がりなどでやっていましたが、ひとつだけ決めたことがありました。近くの武蔵新城で、まだ早川義夫さんが本屋さんをやっている頃で、早川さんが好きだったから、いつか早川さんにもう一度歌ってもらおうと決めていました。10年計画のつもりでしたが、なんと次の年に突然早川さんが活動を再開し、江古田BUDDYでライブをやられたのです。すぐに連絡して、ミュージアムでもコンサートをやっていただきました。それは素晴らしいライヴで、北海道や九州からもファンの方が来てくださり、本当に嬉しかったです。

川崎市市民ミュージアムで開催された当時のイベントフライヤーとそのとき配られたプログラム

「簡単に商品になり得ないけど面白いもの」が見たい(向野)

――私の好きな界隈のミュージシャンやその関係者が、向野さんの主催されていた『カワサキ・ティーンズ・プロジェクト』の出身であることが多いのですが、なぜこのプロジェクトをやろうと思ったんですか?

※カワサキ・ティーンズ・プロジェクト……2003〜2010年に川崎市市民ミュージアムで開催されたイベント。公募で選ばれた10代の出演者とゲストミュージシャンがステージで演奏。また、広報、審査、会場作り、PA、照明なども全て10代のボランティアスタッフで構成される。

向野:カワサキ・ティーンズ・プロジェクトは、ミュージシャンの卵を発掘しようというわけではなくて、「簡単に商品になり得ないけど面白いもの」が見たいという気持ちからはじめました。言葉の通り、面白いものをたくさん見せてもらいました。やりたいことがあるなら自分たちで場所を作ろうよってことで、出演者だけでなく、スタッフも10代でした。

2008年カワサキ・ティーンズ・プロジェクトのチラシ(作者提供)

――バンドなどで活動している人じゃなくて、個人に焦点を当てたものだったと聞きました。

向野:ティーンズ・プロジェクトのキャッチコピーが「ひとりから始まる」だったんですね。学校や家庭や、いつもの自分の役回りを離れてみて、一人で出発し、いろんな人に出会う、という体験を想定していました。だから、一人で参加、というのが決まりでした。

――そのようなルールにした意図を教えてください。

向野:表現したいことがあるんだったら、まず一人にならないと始まらないだろうっていうのがありましたし、若い子が一人になることを恐れすぎているとも思っていました。それになにより、ナンバーガールを解散した後の向井秀徳さんの姿に感銘を受けていました。ナンバーガール解散ライヴが終わったその夜にはもう、向井さんは一人でギターを抱えて弾き語っておられたそうで、凄い人だと思いました。

――毎年ゲストを迎えていますが、向井秀徳(ZAZEN BOYZ)、遠藤賢司、曽我部恵一、 PANTA(頭脳警察)、outside yoshino(eastern youth・吉野寿)、星野源、オニ(あふりらんぽ)、知久寿焼(元・たま/現・パスカルズ)と、その豪華さに驚かされます。

向野:すごい先輩たちを見てほしかったし、そういう人たちが、遠いところにいるんじゃなくて、自分たちと地続きのところにいるんだって思ってもらいたかったからです。

あふりらんぽのオニと即興演奏するティーンズ・プロジェクトのスタッフと共演者たち

――ステージライヴの他にも、野外ライヴも開催されたとか……。

向野:出演者以上にPAなど10代スタッフが頼もしくて、彼らの力を借りて野外ライヴも始めました。Phewさん、松尾清憲さん、元CANのダモ鈴木さん、加部正義さんのZOKUZOKUKAZOKU(ゲストに近田春夫さん)などいろんな方に来てもらって楽しかったですね。昆虫キッズも乍東十四雄もスカート澤部くんもホライズン山下宅配便も来てくれましたよ。

――このプロジェクトはどのくらい続けられたのですか?

向野:前の職場には18年勤めたんですが、最後の8年間ですね。第2回のゲストの遠藤賢司さんが「このイベントを10年続けたらすごいことになる」と言ってくださったのに、10年続かず8年でやめてしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいです。 でもカワサキ・ティーンズ・プロジェクトは、自分が思っていたよりもずっと、出演してくれた子たちが音楽を続けてくれています。昆虫キッズの高橋翔くんとか、今はラーメン屋で忙しいようですが、ヤング(ex.乍東十四雄)の高梨くんだったり、てあしくちびるの伴理くん、今作曲家として活躍中の金子麻友美さん、しずくだうみちゃん。マーライオンくんとか、佐野千明ちゃんとかもいるし。結構いろんな人が音楽をやってくれているから、楽しみがずっと続いている感じがあります。

いろんな面白いことやりたい人が来たときに、受け入れてあげる場所であり、自分であればいいなと思っています。(向野)

――2013年にカフェアリエをオープンしたということですが、カフェを始めることになった経緯を教えてください。

向野:前の職場を辞めて何しようか考えていたとき、知り合いの人が面白い家を相続してどうしようか悩んでいるというのを聞いて、面白がって見に来たら、とても雰囲気のあるいいお家だったんです。聞けば、いろいろな伝説の方々……ネオ・ダダのアーティストの集まり場所だったとか。でも、今何かしないと朽ち果てそうな感じだったんですよ。タイルとか壁とかはボロボロで、そもそもこの建物が残っていると知っている方もほとんどいませんでした。だから、この家をちゃんと見てもらったほうがいいなって思って、勢い余ってじゃあ私がカフェやりますって言ってしまったんです。

カフェアリエ・外観

――その思い切りがすごいですね(笑)

向野:いや、ふらふらしてるときだったから話が早いだけで(笑)。生命保険を解約したらまとまった資金もできましたし。今も今までもそうなんですけど、目標があってやっているというのはあんまりなくて。いろんな面白いことをやりたい人が来たときに、受け入れてあげる場所であり、自分であればいいなと思っています。今、ここでいろいろイベントをやっていますが、私は自分の企画とかはやっていないんですよね。自分のやりたいことや思いつくことは前の職場でほとんどやってしまいましたし、それより若い人が、今これが面白いんですよって企画してくれて、見せてもらうほうが絶対楽しいっていう気持ちがあるので。目利きの女子高生の企画とか見たいですね。

――ちなみに、カフェアリエの「アリエ」とは、妖怪の名前からとっているそうですが、その由来を教えてください。

向野:アリエは妖怪ではなくて幻獣、いわゆるUMA(未確認生物)なんです。ここをオープンするのがちょうど大震災の後だったから、この家本当に大丈夫なのかなって一瞬不安がよぎった時に、たまたま妖怪研究家の湯本豪一さんから電話がかかって来たんです。湯本さんが以前「幻獣展」というのをやられた時に、アリエという幻獣が可愛くて気に入っていました。話しているうちに、お守りがわりにアリエを使わせてもらおうかなって言ったら、いいよって画像を貸してくださったんです。アリエは予言獣と言われていて、予言して海に帰って行くんですが、アリエの姿を絵に描いて貼っておいたら災厄を除けられるってことであそこに貼ってあります。

アリエの厄除けは、現在も店に飾られている。

――アリエは、建物が2階まで吹き抜けになっていて天井が高いせいか、演奏がより良く聴こえるような感じがします。

向野:最初はこんなに音がいいとか思ってなくて。ここだと、空間のせいかみんないい演奏をしてくれるんですよ。PAも小さいものしか入れてなくて、PAの音と生音が同時に聞こえる感じがすごくいいなと思っています。大きな会場でPAだけ通しているときには聞こえない音が聞こえるんですよね。だから、幅があって豊かな感じがあります。

カフェアリエ・店内

――過去にアリエで開催されたイベントで、特によかった、印象に残っているというものはありますか?

向野:5周年記念としてdipのヤマジさんがソロライヴをやってくださったんですが、これはもう最高の演奏でした。それから、自分がライヴに行くようになったきっかけが東京ロッカーズのムーブメントで、フリクションもE.D.P.Sも大好きだったから、恒松正敏さんがソロライヴをやってくれたときは、すごく嬉しかったし感慨深かったです。あと、ニプリッツのHIROSHIさんのソロも。東京で初めてライヴを見た頭脳警察は、その1年間だけ3人編成で、HIROSHIさんがベースだったんですよ。頭脳警察のとき見ましたよって言ったらめちゃめちゃ驚かれましたけど(笑)。ヤマジさんも恒松さんもヒロシさんも、音楽に対する姿勢が少年のままのように瑞々しくて、そこがなによりグッときましたね。

2015年9月27日 恒松正敏ソロライブより

2017年5月20日(土) 燻裕理(Hiroshi Nar)×遊佐春菜 より

――カワサキ・ティーンズ・プロジェクトにせよ、カフェアリエにせよ、向野さんは一貫して、誰かにとっての場所を提供し続けていることがすごいなと思いました。

向野:面白いものが見たいだけかもしれませんが、たまたま自分が預かることになった場所をみんなに楽しんでもらいたいとは思っています。そのおかげで面白いものをたくさん見せてもらっていますし、これからも面白いものを若い人たちに見せてもらいたいですね。

――昨年5周年ということで、いろいろな企画がありましたが、今後もこの場所はカフェアリエとして続けていく予定ですか。

向野:実は、いつまで続けられるかはわからないんです。古い家を本気で保存しようとしたら大変で、普通の家みたいに簡単に修理とかできないんですよ。大きなことがあったらどうなるかわからないっていうのがあるから、いつまで続くかっていうのはわからない。大家さんの意向もありますし。だから、ここで何かやりたいことがある人は、今のうちに使ってください。でも、場所があるっていいなとしみじみ思いますから、この家が使えなくなったら「漂流アリエ」となって新しい場所を探す旅に出ようと思います。

STORE INFORMATION

カフェアリエ
住所:東京都新宿区百人町1-1-8
公式HP:http://cafearie.com/
公式Twitter:https://twitter.com/cafearie

References   [ + ]

1. 1969年〜2000年まで存在した小劇場。渋谷公園通りのパルコ横、山手教会の地下にあった。