東京の変わりゆく街の変化の中で開催される音楽フェス・埠頭音楽祭インタビュー


現在、東京では大規模な再開発計画が着々と進行中だ。いうまでもなく、その契機となったのは2020年の東京オリンピック/パラリンピック。はやくも2年後に開催が迫った、この一大イベントにむけて、都内の各エリアでは競技用施設や高層ビルの建築、公共交通機関の整備などが広範囲にわたって行われている。

そこで注目したいのが、中央区にある晴海埠頭。この湾岸地区では五輪選手村の整備事業が進行しており、2020年以降はタワー・マンションを中心とした高層ビル街に生まれ変わる予定だという。実際、あたり一帯の景観はすでに様変わりし、そこにかつての面影を見出すのはいよいよ難しくなってきた。

7月14日、そんな晴海埠頭で音楽イベント『埠頭音楽祭』が開催される。会場の晴海客船ターミナルは1991年に建設された公共施設で、やはりここも再開発による解体が決まっているようだ。このイベントの開催にあてて、バンド「1983」の新間功人はこうコメントしている。

「東京に長年住んでいると好きな風景や思い出の場所がどんどんなくなっていくことが感傷に浸る間もなく次々と起こります。 都市で暮らす恩恵を享受している以上、それに対してYesでもNoでもないのですが、 どうせなら変わっていく街の様子を何か経験として届けられたらいいなと思い、 このイベントを企画しました」

今回、ロコマガではこのイベントを主催する1983の新間と、おなじく『埠頭音楽祭』への出演が決まっている江本祐介に対談をオファーしてみた。東京オリンピックを境に失われた風景を架空の都市として現出させようとした、はっぴいえんどのアルバム『風街ろまん』が世に放たれてから、もうすぐ50年。またしてもその風景をドラスティックに変えようとしている東京で、彼らは今なにを伝えようとしているのか。そして、そこでどんな音楽を鳴らそうとしているのか。江本がオーガナイズする高円寺の銭湯「小杉湯」を舞台としたアコースティック・イベント『フォークバンケット』、そしていよいよ開催が近づいてきた『埠頭音楽祭』を引き合いにしながら、彼らが現在の東京に残された、あるいは失われつつある場所で音楽イベントを企画することの真意に迫ってみたいと思う。

取材・文 / 渡辺裕也 写真 / 宇壽山貴久子

1983・・・1983年生まれのベーシスト新間功人を中心に結成された、80年代生まれの5人組。各個人の音楽史観をルーツミュージックと解釈し、日本ポップスの可能性を追求。ベーシックな4リズムに、トランペットとフルートが華を添える。5人はそれぞれ、バンドメンバー/サポートとしてoono yuuki、森は生きている、Peno、トクマルシューゴ、王舟、シャムキャッツ、寺尾紗穂などの録音に参加している。http://www.the1983band.com/

江本祐介・・1988年4月8日生まれ、埼玉県出身。バンド、弾き語りの活動を経て現在は自身の楽曲やCM音楽の制作他アーティストのREMIXや編曲を行っている。ENJOY MUSIC CLUBではトラックと歌とラップを担当。http://emotoyusuke.com/

オリンピックによる街の変化を体感したことで、はっぴいえんどが『風街ろまん』を作るに至った感慨が実感としてわかったような気がする。(新間)

左から新間功人(1983)、江本祐介

――晴海埠頭は今、こんなことになっていたんですね。どこを見渡しても重機だらけで、こんなに大かがりな再開発の現場はあまり見たことがないかも。

新間:オリンピックの選手村ができるみたいです。西東京にいるとけっこう気づかないものですが、東のこの辺りに来ると、今の再開発の凄さを肌で感じられるというか。

――新間さんはいつ頃からこのあたりに住んでるんですか?

新間:いま住んでいる中央区に引っ越してきたのは2014年なので、もう4年になりますね。

――この4年間で街の景観もかなり変化したのでは?

新間:そうですね。東京オリンピックの影響をモロに食らっている感じがしてます。オリンピックは自分からすればまったく関係ない世界の話だと思っていたんですけど、実際住んでいる家の周りが再開発で根こそぎ変わっていくのを見ていて、これはただ事ではないなと。

――こうして街が変わりゆく様子を新間さんはどう見ているのですか?

新間:まあ、「寂しいな」っていう気持ちですかね、好きな景色から先になくなっていくなぁと最近よく思います。実際、再開発に対して反対の声を上げていなくても、そこに寂しさを感じている人はたくさんいると思うんです。でも、その「寂しいな」みたいな気持ちはカタチに残しておかないといつかはなくなってしまうのかなって。たとえばこの風景を写真に撮って、それをブログにアップしてみたり、そうやってなにかしらのアクションを起こさないと、いつかはこの景色も忘れられるような気がして。

――その思いが『埠頭音楽祭』を開催するひとつのきっかけにもなったと。

新間:ええ。それこそオリンピックによる街の変化を体感したことで、はっぴいえんどが『風街ろまん』を作るに至った感慨が実感としてわかったような気もします。

――この『埠頭音楽祭』の会場となる晴海客船ターミナル・ホールって、普段からライヴ・イベントでよく使われる場所なんですか? 以前にここでいちどK-POPのショーケース・ライヴを観たことはあるんですが。

新間:アイドルとかヒップホップの人たちは時々イベントで使っているみたいですね。でも、自分たちのまわりにいるバンドとかにはあまり使われていないのかも。実際、お客さんに「晴海埠頭って知ってる?」と聞いても、9割の人は知らないんですよ。だったらその紹介がてら、自分たちがここでライヴできたらいいなと。

――では、1983以外の出演アーティストはどうやって決めたのですか?

新間:「渡航歴があるかどうか」っすね。晴海埠頭でやるんだからというのもあり。

江本:いいですね、それ。

新間:実際、このイベントに出てくれる人はフットワーク軽く移動しながらいろんな場所で演奏をする、音楽を作るということを活動の根幹に据えていると思うんですよね。こういう人たちが今この時代にいるんだよっていうところもイベントをとおして伝えたいし、そういう人たちが集うターミナルというか、みんなにとっての何かしらのきっかけになればいいなって考えています。

――なるほど。では、新間さんは晴海埠頭のどんなところに愛着を感じているのですか?

新間:晴海埠頭のことを知ったのは、小沢健二の「いちょう並木のセレナーデ」がきっかけだったんですけど。もしかしたら、ここには自分の小さい頃の記憶とかも結びついているのかもしれないですね。というのも、自分が生まれたのは1983年で1990年ぐらいまで東京で育ったんですよ、その頃の東京は景気が良くて、でかい建物もどんどん建って、街全体がキラキラしていたんですよね。で、それから僕は大阪で育って、大学でまた東京に戻ってきたらもう先進国の黄昏って感じで、ああ街も歳をとるんだなぁと。でも、なんかここだけはタイムカプセルみたいに当時と同じ雰囲気のままで残っていて。

――たしかにこの施設の空間だけは90年代から時が止まっているかのようです。

新間:そう、完全にこの建物は時代から取り残されていて。人もほとんどいないし、匂いだけがバブルで、その頃のクリスタルな部分がそのまま真空パックされて今に提示されている感じがヴェイパーウェイヴみたいだなと。

――そう言われてみると、この空間にノスタルジーを抱くというのはヴェイパーウェイヴ的ですね。過去にあった近未来のイメージを懐かしむような感覚というか。

新間:うん、多分これってここ10年くらいの感覚ですよね。消費社会を生臭いものとして扱うのではなくて、ようやくノスタルジーの対象として受け取れるようになってきたんだなって。

――そんな晴海埠頭で音楽イベントをやろうと思った時、新間さんのなかでイメージ的に近いもの、あるいはヒントになったようなイベントは何かあったのでしょうか?

新間:まわりにいる同世代の存在がけっこう大きいですね。たとえばceroやシャムキャッツ、ミツメ。あとは自分がサポートしているトクマルシューゴさんのようなミュージシャンは、それぞれ自分たちでイベントをキュレートしていて、そういうのはすごくいいなと。あと、2013年に『月刊ウォンブ!』というイベントがあったんですけど、あの時の学園祭みたいな感じはすごく衝撃的でしたね。それまでの自分は割と純音楽主義というか、「イベントに大事なのはあくまでも音楽であって、それ以外はぜんぶノイズ」みたいな考え方だったので、あそこで感じた「こんなふうに人の暮らしと結びついた音楽イベントがあるんだな。だったら自分もこういうイベントがやってみたい」みたいな気持ちは、今の自分の力にもなっていると思います。

銭湯が昔とはまた違った、新しい場所になってきている(江本)

――その人の暮らしと結びついた音楽イベントというと、江本さんが小杉湯で開催している『フォークバンケット』は、まさにそれですよね。

江本:そうですね。今はもう引っ越しちゃったんですけど、僕は高円寺に住んでいた時期がだいたい5年ほどあって、その頃にバイトしていたのが小杉湯だったんです。というのも、当時の僕は風呂なしアパートに住んでいて、そんなときに小杉湯のバイト募集を見たら、バイトは毎日風呂に入り放題だと書いてあったので、これは最高だなと。

新間:あはは。渡りに船だね。

――実際に小杉湯で働いてみて、銭湯という文化への考え方はどう変わりましたか? それこそ近年は銭湯の数も減少してきていると言われていますが。

江本:小杉湯の若旦那から聞いたところによると、昔は東京に銭湯がセブンイレブンと同じ数だけあったらしくて。たしかに今ではその数がずいぶん減っちゃったんですけど、一方で最近は若い人たちがけっこう銭湯に行くんですよね。そういう意味では、銭湯が昔とはまた違った、新しい場所になってきているような感じもあるんです。実際、小杉湯にはファンが多いし。

――そこで音楽イベントをやろうと思ったのは、どんなきっかけで?

江本:お店から「イベントやれば?」と言ってもらえたんです。当時の俺はまったくの無名で、それこそ人からイベントに誘われることもなかったので、だったら自分で何かやろうかなって。あと、もうひとつきっかけとなったのが、震災後に下北沢シェルターでやってた投げ銭イベント。そのときにシャムキャッツがマイクなしでやってるのを見て、もしこれを銭湯でやったらめちゃくちゃ良いんじゃないかなって。それこそ吉祥寺の「弁天湯」とかでも音楽イベントはやっていたし、小杉湯は元々そういうイベントをやることに積極的だったから、これは是非やってみたいなと。

――『フォークバンケット』がスタートしたのは2012年。そして昨年はほぼ月一ペースで開催されてましたよね。

江本:去年はさすがにハード過ぎました(笑)。それこそ2012年頃は普通にバイトしつつ、たまにイベントやるような感じだったんですよ。でも、そのあと実家に帰っていた時期があって、そこからまた東京に戻ってきたら、小杉湯がバイトを募集していたので「じゃあ、またやります」と。そしたら今度は「隣のアパートに家賃タダで住んでいいよ。その代わりにイベントを定期的にやってくれ」と言われて。それで去年はちょっと大変だったんですけど、このイベントが小杉湯の宣伝になっていることをみんな喜んでくれたし、俺にとっても良いことしかないなって感じですね。

――ということは、これからもこのイベントは継続していく?

江本:そうですね。あと今ちょっと考えているのが、他のぜんぜんお客さんが入ってないような銭湯を一日だけ貸してもらって、そこでイベントがやりたいなと。俺が車を運転して、それにミュージシャンを乗せてって、いろんな銭湯をツアーしてまわりたいんですよね。それこそ風呂にも入れるし。

新間:「ローリング・銭湯・レヴュー」だ(笑)。

江本:あ、そのネーミングめっちゃ良いっすね。

――ディランと銭湯(笑)。いずれにせよ、小杉湯での音楽イベントはこれからも継続していく予定だと。

江本:そうですね。小杉湯がある限り、銭湯ライヴは一生続けていきたいなと思ってます。

――一方、『埠頭音楽祭』の場合はそうもいかないわけで。

新間:むしろこのイベントはすでに終わりが見えていますからね。元々このイベントは2018年、2019年、2020年と続けていくつもりだったんですけど、どうやら2020年になるとこの場所はもう使えなくなるらしくて。なので、できれば今回のイベントをしっかり成功させて、来年も開催したいんですよね。そろそろ選手村も本格的に建ち始めるようだし、できる限りこのイベントを継続していくなかで、お客さんに風景の移り変わりや雰囲気の変化を感じてもらいたいし、その変化をスマホとかに撮って残しておいてほしいなって。

曲作りも好きだけど、「こういうイベントがあったら行きたいな」みたいなことを考えるのもすごく楽しい(江本)

――それにしても、お二人ともミュージシャンとして活動しながら、自らイベントも主催するというのはそれなりに大変なことだと思うんです。その原動力はどこから生まれてくるのですか?

江本:単純に俺はこういうイベントをやるのが好きなんですよね。チケット代をいくらで設定するか。どうやって告知するか。そういうことを考えるのもけっこう楽しいし。

新間:そういうのも含めて音楽活動って感じだよね。特に江本くんがやっていることは一貫してると思う。イベントにせよ、グッズにせよ、ぜんぶ筋が通っているというか。

江本:俺はすべて自分の手が届く範囲でやるのが一番だと思ってて。 それこそアルバムを作ったりするのもそう。Enjoy Music Clubのファースト・アルバムを〈ウルトラ・ヴァイヴ〉から出して、そのときに大体の流れはわかったから、もう次からはぜんぶ自分たちでやろうと思ってました。他のレーベルから誘われたりもしたけど、ここはDIYでいきたいなと。そもそも俺が最初に好きになったのはパンクだったので、その精神は忘れたくないんですよね。昔バンドやってたときは、モヒカンで革ジャンでギター投げてたし。

新間:えぇ、マジで!?

江本:まあ、今やってることはぜんぜん違いますけどね(笑)。それでもパンク的な思想は大事にしていきたいと思ってるし、できることはぜんぶ自分でやりたいなって。もちろん曲を作ったりするのもそれはそれで好きなんですけど、「こういうイベントがあったら行きたいな」みたいなことを考えるのもすごく楽しいことだし。

新間:うん。イベントは自分が行きたいと思えるものをやるのが一番だよね。それに僕も江本くんと同じで、裏方の仕事をやるのも演奏するのと同じぐらい好きなんですよ。

いま僕らが実感している変わっていくなぁという感慨や感傷って、きっと誰もが年をとるにつれて感じることなんじゃないかな。(新間)

――そういえば、今回の『埠頭音楽祭』は新間さんご自身のプロデュースではなく、あくまでも〈1983presents〉と銘打たれてますよね。これはなぜ?

新間:そこについてはもう、バンドとしてやるべきだなと思ってて。というのも、1983にはソングライターの関信洋という人間がいるんですけど、彼が街が変わりゆくことへの実感に根ざしたような曲をつくっていてそこに影響を受けたのがでかくて。関のつくる曲から自分とおなじような問題意識というか、いろいろ変わっていくなぁという実感を感じ取れたんですよね。だから、バンドとしてその感覚をイベントにもちゃんと落とし込みたかったんです。それでこの場所を選んだようなところもありますし。

――新間さんの抱える問題意識が、バンドの方向性とも合致していると。

新間:問題意識というと大げさかもしれませんが。でも、いま僕らが実感している変わっていくなぁという感慨や感傷って、きっと誰もが年をとるにつれて感じることなんじゃないかな。そういったきっかけを『埠頭音楽祭』で届けられたら本望ですね。いずれにしても、晴海埠頭はホントいい場所なんで。もしイベントに来れない方もいちどはここに足を運んでみてほしいです。そして是非このターミナル・ホールのヴェイパーな雰囲気を味わってほしいなと(笑)

6月、晴海客船ターミナルホールにて

INFORMATION

埠頭音楽祭2018

2018.7.14(土)
東京・晴海客船ターミナルホール
[TIME] OPEN13:00/START14:00 ※雨天決行・荒天中止
[PRICE] ADV¥4,000/DOOR¥5,000
[LIVE] シャムキャッツ/1983/ROTH BART BARON/ラッキーオールドサン/SKIP SKIP BEN BEN(台湾)/江本祐介
[SHOP] 阿佐ヶ谷Roji/こばやし飯店(ex.O-nest)/かざまりさ(似顔絵)/シャンソンシゲル(ライブペインティング)
※大学生以下/2500円(当日3000円)
※学割は入場時に学生証提示が必須となりますのでご注意ください
※小学生以下入場無料(チケット1枚につき2名様まで)
オフィシャルHP
http://futofes.com/