台湾から渋谷WWWへ。古川麦『far/close』ツアー


「far/close」とする方がより質的な、心情的な距離を表せるような気がして

――今回、アルバムを出すタイミングだとかコンセプトだとかは、ご自身の中で何か明確な形としてあったんですか?

古川:前々からソロのアルバムは出したいと思っていて、着手したのが2012年くらいだったかな。『far/close』の前に『Voyage』というミニアルバムを作っていたのだけど、それに繋がりを持たせつつ、もっとスケール大きくしたものが作りたかった。「アルバムを作りたい」っていう話を友人やその繋がりの人たちとする中で、賛同してくれる人が多くいて、さっき言った様に、デザイン、写真、演奏、映像などなど色々な面で助けを得られたのもこのタイミングで出す事になった大きなきっかけです。

――『far/close』というタイトルの意味や、このタイトルがつけられた理由について、改めて伺いたいです。

古川:タイトルは最後のあたりで決めましたですが、最初、「遠近」という言葉にしようと思っていたんです。というのも、このアルバムは昔からの曲もたくさん入っていて、自分の世界観・視点の変遷みたいなものを一つにまとめてどういったらいいのだろう、と思う中で「遠近感」というのがしっくりきたから。「遠近」と書くと時間、空間的距離という印象だけど、「far/close」とする方がより質的な、心情的な距離を表せるような気がして。それに、あまり意味を固めすぎないのがいいと思うところもありました。「far/close」とスラッシュで並列にしているのも、遠さと近さが混在していて、遠くもあり近くもありうる状態を表したかった。

――「遠近感」という言葉が、アルバムを通してのテーマになっている?

古川:タイトルは最後につけたと言ったので、後付けといえば後付けですが、ジャケット撮影で台湾に行って少しライブもした、その時の体験や、自分が昔外国で生活したことがある事から、何となく“距離的な遠近”は意識していました。すごく砕いて言えば「たとえ距離は遠くても心は近いんだ」という実感というのかな…、そういうのを元にしています。あと、ミニアルバム『Voyage』の“過去との往復書簡”というテーマは、少しスケールが変わるけれど今作にも在って。例えば、『Voyage』にも今回のアルバムにも入っている「Voyage」という曲は、自分が物心つく前に亡くなった祖父の8mmビデオを映写機で再生している時に着想を得た曲。祖父はもちろん撮影者なので姿は写らないのですが、彼の視点を今の自分の視点でまた追体験するというのが衝撃的な体験で、そういう時間的な遠近が交錯する感じも重要なファクターだなと思っています。

――「Abraham」という曲は、台湾の抗日暴動となる「霧社事件」がモチーフになっているとのことですが、あえてこの事件をモチーフにした理由は?

古川:おお、そこを聞きますか。最初に言っておくと「Abraham」というタイトルはその事件とは全く関係なく昔につけたタイトルで、モチーフにしたのは、事件のさらに後の報復戦を記録したと思われる写真についてです。報復に次ぐ報復の末を写したもので、生首がずらっと並んでいる、非常にショッキングな写真でした。単純にパっと見ただけでもショッキングな絵面だけど、その関係性を知る程にどんどんえげつなく思える写真。今でも少し部族同士の軋轢があったり、台湾の人たちの中でもこの事件をどう考えるか色々あったりして、当然日本にも関係ある事件なのですが、自分はひょんなことからその写真と出会ってしまったので、その返答的な意味合いとして曲にしたつもり。特別台湾がどうこうとか、日本がどうこう、と言いたい気持ちはなくて、僕にとってのこの曲というのは理不尽な暴力、正義とか悪だとかの軸に絡めとられて横行している暴力全般に対する感情なんだと思います。

――やはり今、“理不尽な暴力”については思うところがありますか?

古川:個人的には、2月1日に仙台でライブした時、そのニュースをぼんやり考えながらモヤモヤしていて、ライブで「Abraham」をやって解説をしている時に、はたと人間って結局同じことしているのかと思って沈黙してしまった時がありました。ただこの曲を台湾でやることに関しては、どちらかというと積極的で、ここでやらずにどうするという感じでしたね。自分が感じる限りでは、台湾の人たちというのは、複雑なナショナリティを持った人たちで、色々な立場の人が入り交じっています。だからこそそこに甘えて、台湾に来て昔のことを知った若い日本人は、こういうことを感じたよ、というのを歌っても、「へー。なるほどね」と受け止めてくれる気がしたんです。結果的にどう思われたかはまだ読めていないところですが、印象には残るみたいです。霧社のことなんだね、って。

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――“恋した訳じゃない。何十年も思い出すだけ”女の子、という、「メキシコの夜」の歌詞も印象的です。これも実体験に基づいた曲との事ですが…

古川:これは自分が幼い時、当時住んでいたアメリカから一瞬メキシコに家族で足を踏み入れたことがあって、その時、街を歩いていると同い年くらいのガム売りの女の子がいて、その子は球場の売り子みたいに首から箱をさげていて、そこに並んだガムを売り歩いていたんです。それで、自分の記憶では、その子を通り過ぎる際に父親が自分の持っていたゴミのようなものをその箱に入れたんですよ。驚いたのと、それを当然としてやる大人への恐怖、メキシコのネオン街の混沌とした雰囲気とが相まって非常に印象に残ってしまって、あの子は今頃どうしてるのかと思い出して作りました。

――淡い初恋の話かと思いきや、短編小説のような趣のエピソードですね。短編と言えば、「芝生の復讐」というブローディガンの短編集と同名のタイトルがありますが、文学作品などをモチーフにすることも多い?

古川:恥ずかしながらそこまで意識はしていない、というか「芝生の復讐」に関しては、ceroの荒内くんと一緒に作っていたのですが、曲名どうしようかという話になった時丁度荒内くんの本棚にあったブローティガンの短編集のタイトルが目に止まって…。後で読んでみてそこまで内容違わないなということで、そのままにしました。

――成る程。ところでジオラマ制作が趣味のことですが、どういう所に惹かれますか?

古川:それどこ情報(笑)? 趣味という程じゃないけど、確かに一時期ハマってました。草に見えるパウダーとか、土色のパウダーとか、大好きです。元々ミニチュアが好きだったのと、プラモデルの「ウェザリング」(※わざと錆や泥をつけて風合いを出す手法)というのが好きで、ジオラマって基本過去の情景を再現しようとするのでその辺が自分の志向と合っているのかなと。曲作りと通ずるというよりも、ジオラマ自体を結構曲の元ネタにしていますね。過去の情景を再現しようと思って、結局全く未知な情景が生まれる感じとか。

――それって、今回のアルバムの「遠近」というコンセプトにも通じるのでは?

古川:そうですね…ジオラマを考える時に、「視点」というのがすごく大事だった。自分をどこに置くのかによって見方が変わることというか。それを「遠近」という言葉に込めてもいるかもしれません。ジオラマへの興味のきっかけは、とある美術作品。大きい箱の中に、深夜の森にある一軒家の情景が作り出されていて、ヘッドフォンからはその場所のサウンド・スケープや住人の会話が聞こえてきて、過去のある出来事を追体験できる。それを見た、というか体験したときに、そうやって時間/空間、そして心情的な体験を抽出できるということにすごく興味を持ったんです。ジオラマを介してある出来事に対しての遠近感を変える、ということもできるかなと。ジオラマを見るということ自体は客観的なように見えて、自分をそこに投影することでひどく主観的にもなりえるというか…。そういう交錯した「遠近」が好きなのかも知れないです。