【インタビュー】漫画好きが集まった究極のバンド部、トーベヤンソン・ニューヨーク


 「副業バンド」じゃなくて「究極のバンド部」。トーベヤンソン・ニューヨークは、プロの漫画家、音楽家、デザイナー、プログラマ、編集者である彼らだからこそ、部活動のような雰囲気ながらも、音楽、ジャケットやフライヤー、ホームページや特設サイト、ひとつひとつのメイキングはお手の物。バンド活動のあれこれがすべてバンド内制手工業!高水準!しかもなんだか本人たちすごく楽しそう!唯一無二のバンドサークル…それがトーベヤンソン・ニューヨークなのだ。そんな彼らの共通点は無類の漫画好きであるということ。今回のインタビューでは、バンド結成に至る経緯から、デザイナーの森敬太が発足させた自主漫画レーベル『ジオラマブックス』の生い立ち、昨年11月に行われたどうレーベル主催の音楽と漫画の祭典『ジオラマミュージックフェア』でのライブレポートと来場者のアンケートをお届けします!

取材・文:藤森未起
写真:清水尚樹(easeback)

profile

トーベヤンソン・ニューヨーク…2011年結成の8人組バンド。グラフィックデザイナーであり自主漫画レーベル『ジオラマブックス』の主催者である森敬太(Gt)を中心に、漫画家の西村ツチカ(Gt)と金子朝一(Vo)、サラリーマンラッパー・オノマトペ大臣(MC)、トラックメーカーのmochilon(Ba)、元コミックナタリー編集長の唐木元(Key)、東証一部企業のプログラマー玉木大地(Key)、4月にニュー・アルバムをリリースする『スカート』の澤部渡、という年齢もコンテクストも違う8人によって構成される。メンバーがそれぞれ本業でヒットを飛ばす中、下北沢インディーファンクラブや、メンバーの森と澤部が共同主催する『ジオラマミュージックフェア』に出演し、2015年12月には、初のアルバム『Someone Like You』を発売。

森くんがバンドやりたいからメンバー募集しようって言って、メンバー募集するのに、僕がフライヤーの絵を描いたんです。(西村)

――バンド結成のきっかけは、森さんと西村さん、オノマトペ大臣(以下、大臣)でバンドをやりたいという話になった、ということですが、もう少し3人の繋がりなど詳細を教えてください。

西村:僕と大臣が神戸の大学で同じ軽音楽部で、卒業後、大臣は千葉で働いていて、僕は漫画家になりたくて上京してきて、よく一緒に遊んでる仲でした。そんなときオカダダのロゴを漫画に登場させたくなって、ロゴを作った森くんに連絡をとったことで繋がりができました。

唐木:オカダダは森くんの大学の後輩なんだよね。その縁で森くんがオカダダのロゴを作ったんだけど、あるときツチカさんが、漫画の登場人物にそのロゴがプリントされたTシャツを着せたわけです。まず創作の中に登場して、それが商品として実体化したっていう。

画像-西村ツチカ『地獄…おちそめし野郎ども…』

西村ツチカ『地獄…おちそめし野郎ども…』より(本人提供)
DJ/トラックメーカーとして活躍するオカダダ。西村氏の作中にて主人公が着るオカダダのロゴがあしらわれたTシャツは、のちにオカダダの公式Tシャツとして実体化し、入手困難なほど人気に。

西村:それから、Tシャツのフライヤーを作ることになって森くんちにはじめて遊びに行ったんですよ。オカダダってネットレーベルで音源を出している人っていう認識だったから、森くんもそっち系というか、ネットとかに詳しい人なのかなと思ってたんだけど、ガラって戸を開けたらゾンビーズのインディケイションが流れてた(笑)。

(一同笑)

西村:この人ロックの人や!って、話合うなと思って、交流するようになりました。あるときオカダダくんとか、大臣とかみんなで森くんの家に行く機会があって。

森:そこで突然バンドやろうって言い始めたんだよね。

西村:森くんは京都から東京に出てきてからずっとバンドやれてなくって、常にバンドをやりたいって気持ちがあったらしく……。

森:大学卒業するまで関西でずっとモッズバンドをやってたんですよ。

唐木:あのバンド、モッズ界ではどの程度有名だったの? グルーピーがホテルに押しかけてくるくらい?

森:一応、モッズメーデーに出るくらいの。

澤部:じゃあ全然ちゃんとしたバンドじゃないですか!

西村:で、森くんがバンドやりたいから、メンバー募集しようって言って。

森:なぜか大臣はそのときヤフオクでショルキー(※ショルダー・キーボード)おとしてたな。

西村:大臣は楽器ができないからショルキーな、ってことになった。

唐木:ショルキーって「demo」ってボタンがあって、それを押すと自動で音楽が流れるんですよ。

森:ワム!の『ラストクリスマス』がね。使用時期も限定されてるボタン。

西村:これで君もミュージシャンだ!って。それでメンバー募集するのに、僕がフライヤーの絵を描いたんです。

トーベヤンソン・ニューヨーク当時のメンバー募集のフライヤー

当時のメンバー募集のフライヤー(森さんtumblrより) ちなみに、メールアドレスもその場で作られたとのこと。

澤部:この「僕たち真剣だよ」っていうのがすごく良かったんだよね。

森:ほんとに真剣な人にはなかなか言えない言葉だよ。

――西村ツチカさんはそのとき既に、単行本『なかよし団の冒険』も出されていますが、みなさん西村ツチカさんのことをご存知だったんでしょうか?

玉木:そうですね。僕は西村さんのpixivをずっと見てました。

澤部:僕も西村さんをフォローしてて、それがTwitterで流れてきて、これは面白そうだと思って応募しました。

mochilon:僕はネットレーベル側※の人間だったので、オカダダ、tofubeats、大臣は認識があって、森さんもオカダダのロゴをデザインした人っていうことで認識があって、それで森さんのブログからフライヤーを見て知りました。

※mochilonはインターネットレーベル・マルチネレコーズから三毛猫ホームレスとして音源リリースをしており、オカダダ、tofubeats、オノマトペ大臣も同レーベルから音源を発表している。

金子:僕は……暇だったから。

唐木:あのフライヤー、楽器弾けなくてもオッケーとは書いてないよね。

金子:なんかできるだろうって思ったから……。思ったよりガチだったってところはありますよね。フフフ……。

――唐木さんは元コミックナタリー編集長というのが世間的なイメージですが、プロフィールを見ると実はベーシストで、SPEED「Wake me up!」やRAM RIDER「Portable Disco」などの音源に参加していると書いてあり、びっくりしました。

唐木:働きながらずっと音楽は続けていたんですが、当時一緒にやっていたRAMくんがトラックメイカーとして売れっ子になって、その縁でいろいろなレコーディングで使ってもらいました。あと菊地(成孔)さんの生徒だったんだけど、あそこで理論をひととおりやったことでアレンジもやるようになって。

――楽器のパートはどのように決まったんですか?

唐木:最初期の編成は、ツインドラム、ツインベース、ツインキーボードだったように覚えてるんだけど……。

西村:後期のキングクリムゾンみたいな。

唐木:90年代のね。ところが、まず貸しスタジオにはたいていドラムが1台しかないっていう致命的な問題。あと、そのとき既に朝一には楽器は無理だっていう話になって。

澤部:シンセ取り上げてタンバリンを持たせたんだけど、タンバリンもダメだった。

金子:覚えてる覚えてる(笑)。

西村:それでキングクリムゾンスタイルはやめよう、楽器未経験者は本当に未経験者すぎるので取り上げよう、となって。

唐木:なにより、とにかくこのバンドは森さんのギターが花なんですよ。長くモッズバンドをやっていて、ギターの経験も長いし、良いギターも持ってるし、だけどドレミファソラシドは弾けないっていう最高のギタリスト。

森:モッズバンドやってたときはだいたいコード3つくらいしか使わなかったんですよ。僕今でもコード全然知らないんです。毎回もちろんに「これキーなに?」って耳打ちしてる。

唐木:だから森さんにアベレージを合わせようってことになって、今の編成になりました。 やっぱり澤部さんがギター弾いたり僕がベース弾いたりすると真面目くさくなってしまって、森さんの良さをスポイルしかねないし。

西村:最初はシーナ&ザ・ロケッツの「レモンティー」とかやったりして、みんなの共通項を探る作業が続いたんですけど、みんなが知ってる曲として、大臣とトーフくん(※ tofubeats)が作った「Big Shout It Out」をカバーしようってことになったんです。

唐木:そのとき僕がとっさに付けたコード進行がいまでも使われてるんですが、あれは一聴すればわかるとおり、デートコースペンタゴンロイヤルガーデンの「ミラーボールズ」の丸パクリです。スライ&ファミリーストーンの「IF YOU WANT ME TO STAY」ネタですね。原曲はトーフくんだから電子音のハウストラックで、それをバンドでそのままやっても成立しなかったんです。それで人力で成り立つようなコード進行にしたっていうか。

森:あのコード進行でやってみたらカッケー!ってなって、そのときから、このバンド音楽もいけるんじゃない? って雰囲気になったよね。

――澤部さんは本業が音楽活動でライブもバンド編成でやることが多いと思うんですが、本業と、トーベヤンソン・ニューヨークでやるバンド活動についてなにか違いがあったら教えてください。

澤部:僕は今まで、まともなバンドをやったことがなかったんですよ。スカートも結局は僕のソロプロジェクトだし、そもそもTJNY結成時の2010年にはバンド編成のスカートすらやってないですから。当時は自分で作ったデモを「このとおりに弾いてくれ」ってベースの人とドラムの人に渡してやってたんで、みんなでゼロからものを作るみたいなことがはじめてだったから、そこが圧倒的に違いますよね。

mochilon:「ここのコードをデミニッシュにしていい?」って聞いたら、「すごい!このやりとりバンドっぽい!」って返しがきた(笑)。

澤部:みんながフラットに意見を出せるんですよね。ソングライターがひとりだとそのひとが主導権を握っちゃうし、むしろそのひとのビジョンに当てはめていくべきなんですけど、TJNYはそうじゃない。

mochilon:あえて言うなら、ツチカさんのあげてきたデモが初期のコアになってます。

玉木:一番最初に作った「ロシアンブルー」がその典型なんですが、ツチカさんのデモに合わせて曲を作っていく感じでしたね。

唐木:僕は最年長だから、支配的なことを言っちゃいけないって自分を意識的に律している。こうしろとか決めちゃうと上司みたくなっちゃうから、実は絶対しないようにしてる。

金子:僕はまったく意見はしないです。

西村:金子くんだけ発言権がゼロ 。

澤部:意見が飛び交っている時にひたすら静観していることが多い、金子朝一は。

金子:最終的にみんなが出した答えが正解でしょ。フフフ。

――ライブハウスでライブを行うようになったきっかけを教えてください。

西村:僕がメンバーの何人かと別のアーティストのライブに行ったとき、知り合いのオーガナイザーの人に会って、その人は唐木さんとも古い知り合いで、ライブしようってなって、ライブしました。

唐木:さっき支配的な言動はしないようにしてるって言ったけど、あのライブが決まったときだけは別。レパートリーが1曲もないのに30分のブッキング取ってきたんで、急いで曲を仕上げなきゃってなった。

金子:たまに土日使って練習してたくらいが、それが決まってやっと本格的にやるようになった。

森:それまでは練習っていうよりみんなで集まっての大余談会くらいのレベルだったんだけど、人前に出るからにはちゃんとしないとって思って。

唐木:とにかくできることをかき集めて、なんとか30分のライブにしたら、盛り上がったんだよね。あれが悪かったね。あそこで痛い目見てたら、もうやめようとかなってたのに(笑)。

玉木:最前列で店長(※西尾雄太)がぐあーってめちゃくちゃ盛り上げてくれて…。

注釈:西尾雄太…漫画家・イラストレーター。書店員を経て2014年「月刊IKKI」掲載『入り勝ち』で商業誌デビュー。ヒバナ(小学館)にて掲載されている「アフターアワーズ」は、西尾の商業誌初連載作。

森:あれめっちゃよかったよね

唐木:1回目のライブの調子が良かったんで、続けようってことになりました。

西村:あと唐木さんがスパルタになった挙句、初期メンバーのさとうしをりさんが辞めるという……。

唐木:えっ、しをりさん来なくなったの、あれ俺が原因なの?! マジで? ちょっと、いま初めて聞いたんだけど……!(猛烈に凹んでしまい、以後は発言が途絶える)

森:3回目のライブ、インディーファンクラブでなぜか入場規制頂いたりとかしてね。

――CDを出そうって決まったのは、どういうきっかけだったんですか?

澤部:ジオラマミュージックフェアですよ。ジオラマミュージックフェアっていう森さんの自主企画があるから、なんか目玉を持ってこないといけないってことで。

森:あと、そんなんでもないとできねえなってかんじはあったからね。

mochilon:結成から出すまで2年半かかってるんですよね。

澤部:恐るべきスローペース……!