レコードとインディーシーンがクロスする場所 ココナッツディスク吉祥寺店・矢島和義インタビュー


店長の趣味がそのまま反映される店、ココナッツディスク

――次に、ココナッツディスクについて教えて下さい。都内に池袋・江古田・代々木、そして吉祥寺店の4店舗がありますが、各店の特徴などありましら教えて下さい。

矢島:社員=店長っていうのがココナッツディスクにはあるんですが、店長の趣味がそのまま反映するっていうタイプの変な店なんですよ。社長は本当に丸投げ。そこがすごくいいところで、方向性とかやりたいこととかは全部やらせてくれる。だから、店長の趣味というかセンスがそのまま反映されていて、吉祥寺は僕がこんな感じで、クラブミュージックよりかは家で聴くタイプの音楽を中心に扱っている点と、国内インディーバンドの自主音源を扱っている点が特長です。江古田店は、吉祥寺店のオープニングのときにバイトで入ってきた松本君が社員になるタイミングで移転して、今はプログレをメインで置いているお店になってます。代々木店の横尾君はDJをやっていてヒップホップ大好きだから、代々木店はそういうお店になってます。池袋店はずっと店長不在だったんですけど、今年から中川くんていうのが店長になりました。趣味的にも僕と近かったんで、なんとなく僕と中川くん共同で池袋やっていこうって感じで最近までやってて、それで今の感じになっているっていうのがあるんですけど。だからそういう雰囲気を残しつつ、これから中川くんの趣味が出てくるんだと思います。ただ、店長の趣味が反映されているとはいえ、オールジャンルの店っていうのは共通してあって、置いてないジャンルはありません。オールジャンルだけど、店長の趣味が出てきちゃうみたいな感じがあるのかな。

1990年代のココナッツディスク池袋店

1990年代ココナッツディスク池袋店の様子。写真に写るのは若き社長・里村真和氏

この頃は今の池袋店の路面店ではなく、同じビルの2階にありました。暗い階段を上っていかないといけないのが、なんか怖かったです。 アルバイトだった僕らが気合入れていたことのひとつが「なんのレコードをディスプレイするか」で、この写真に写るので説明するならば、はっぴいえんど、山下達郎、ときて、勝新太郎を飾る、という所がポイントだったはずです。笑(矢島)

ココナッツディスク4店舗合同飲み会の様子

現在ココナッツディスクで働くメンバーたち(全店合同飲み会の様子)

――ちなみに、中古レコード盤屋というのはどうやっていいものを仕入れるんでしょうか。

矢島:うちは買い取りをやっていて、買い付けをやっていないんですよ。買い付けっていうのは、例えば海外に行って現地のレコード屋でレコードを買い付けてきて店で売るっていうものなんですけど、買い取りっていうのは人が要らないものを売りに来て、それを買い取るっていうシステムです。何を売ってくれるかは、その人がいいものを売ってくれないといいものは入ってこない。いろいろ頑張って売ってくださいとか言って買取金額表も公開とかして、ある程度は入ってきてるんですけど結構大変なんですよね。

――店長にはどのような経緯でなったんですか。

矢島:新卒で会社に入ったんですけど、会社帰りによく池袋店に会いに行ってたんですよ。みんなは相変わらずレコード屋で働いていて、レコードを聴きまくっているっていうのが羨ましいなって思っちゃってたんですよね。で、僕が池袋で一緒にバイトで働いてた奴が、ココナッツディスクに社員として入るって選択をしたんですよ。社員=店長みたいな決めがあったみたいで、そういうのもあるんだって思っていたところ、遊びに行っているうちにもう一店舗作るっていう話を聞いて、社長にも軽く(店長)やらない?みたいな話を言われていたので、そうしようと思って1年半で会社を辞めました。新卒で入った会社は、広告やキャラクターの著作権管理をする仕事で、それはそれで興味深い会社だったんで、ココナッツディスクに行くっていう話がなければ今でもそこで働いてたと思います。辞めた会社の社長には心配されちゃいましたね、お前そんなんでいいのかって。レコード屋なんて金にならないだろうって、老後にリタイヤした後だってやれるんだぞってすごい言われました。当時はピンとこなかったんですけど、今思うと…すごくピンときますね。(笑)

90年代のレコード文化・聴き方について

――オープンは1999年ということですが、その時代はCD全盛期ですよね。レコードもそれなりに需要があったものなんですか?

矢島:あったと思いますね。僕がまさにそれっていうか。90年代半ばから終わりにかけてアナログブームだったっていうのもあるんですけど、世間一般的にはすごくCDが売れていて、マニアックな人はアナログ盤も買ってる、みたいな感じで。レコード屋もバンバンできてて、うちも支店を出すくらいだから、売れてたと思います。みんなレコードを買うのが良いよね、みたいな。僕が好きだったバンドやミュージシャンがレコードで音楽を聴くのが好きだっていうタイプの人ばっかりだったんで、CDよりもレコードで持っているほうが偉い…じゃないですけど、かっこいいみたいな。

――90年代初頭の渋谷系音楽から90年代末のアナログブームについて、当時を知らない世代も読んでいる人が多いと思うのでもう少し詳しく教えてください。

矢島:日本人のアーティストは基本的にCDリリースしかなくて、アナログブームのときはそれまでよりアナログも出してたけど、全タイトルをアナログで出すっていうのは滅多になかった。だからアナログが出たら買うけど、まずCDで聴くみたいなのがあって。で、僕が好きだったのは、海外のインディーバンド。現地ではすっごく小さなライブハウスでやっているようなアマチュアのバンドの音源を、僕らはすごいありがたがって聴いているみたいな。そういうバンドは基本CDは出てなくて、アナログの7インチばっかり出していたから、そういうのをZESTとかラフ・トレード・ショップとかで買っていました。そこはもうCDで聴くっていう頭はそんなに無かったかもしれないですね。

7インチレコード

その頃買った7インチたち (本人私物) 

あとアナログで買うとしたら、現行のアーティストや音楽家がこれが良いとか影響を受けたっていうものをアナログ盤っで買うっていう。最近ハマっているのはこれ、とかよくインタビューで言っていたんですよ。しかもそれがが結構レアだったり昔のものだったりして、そういうものってCD化もされていないし、アナログ盤で買うしか聴けないものが多かった。特に、小沢健二が出す音源は基本元ネタがあるっていうものだから、その元ネタが何だろうっていうのをみんなが探しに行って、その元ネタが入っているレコードが高値になっちゃうみたいな。雑誌でも小西康陽さんが好きなレコードを200枚載せたり(※1)、曽我部恵一さんが好きなレコードを誌面一面に紹介したりする雑誌(※2)や、サバービア・スイートっていうオシャレなカタログみたいな雑誌(※3)があって、そこに載っているレコードをみんな欲しがって、扱っているお店に客が集中する。DJ文化みたいなのもあって、彼らが課外活動的にDJをすると、そこで流した曲と同じレコードが欲しいから探す…みたいになるんですよ。当時はそういうのを買い付けてきたって謳っているお店がいっぱいあって、海外だったらすごく安く手に入るのに、僕たちを騙すように5,000円とか1万円で売るみたいな。

POP IND'S '91年8号

『POP IND’S』’91年8号。(スイッチ・コーポレイション出版)p8-9

1.『POP IND’S』1991年8号、スイッチ・コーポレイション出版、表紙、p8-9

この雑誌で人生が変わった/狂ったという人は多い、伝説の1冊。(矢島)

サニーデイ・サービス TOUR’98 オフィシャルパンフレット 

2.『サニーデイ・サービス TOUR’98』オフィシャルパンフレット、p46-47 

これ以外にも曽我部さんが選ぶ200枚が載っている雑誌も持っていたんだけど部屋をいくら探しても出てこなかった、、。(矢島)

suburbia suite

Suburbia Suite

3.橋本徹編集『Suburbia Suite; Especial Sweet Reprise 19921121』 表紙、p4-5

計3冊刊行された『サバービア・スイート』のディスクガイド本ほど90年代のレコード屋に影響を与えた本は無いと思います。その頃、2度ほどココナッツディスクも海外買い付けに行った事があるんですが、その際に参考にしたのもこの本でした。(矢島)

――まさに情報に価値があった時代ですね。

矢島:当時はまだインターネットもなくて、紙がすべてというか、雑誌とか本とかカタログみたいな冊子とか。あとはZINEとかも当時あって、好き勝手ホッチキスで止めたやつをラフトレードショップとかで売ってたんですよ。そこに好きなレコードとかが紹介されていて、全然有名な人じゃないんだけどそうやって紹介されていると買いたくなっちゃうとか。

――今、ZINEって流行ってますけど、それとはちょっと違う? 

矢島:今ありますよ…(と言って在庫棚から実物を出してもらう)僕と同じ年代の同じような人がこういうことをやってて、これに影響を受けてまた買うみたいな。内容はレビューと、あとバンドへのインタビューっていうのがあるんじゃないですかね。自分が好きなことについてひたすら書くっていうのもある。こういうのがよかったのは、僕らにとってはすごい好きなバンドでも一般的には全然有名じゃないから、雑誌とかに全然載らないんだけど、こういうのだとインタビューが載ってるんですよ。誰もやらないから自分たちでやるみたいな。そういうのがすごく読みたくて。 

当時のZINEの一例

当時のZINEの一例

――今だと普通にインディーズのアーティストでもネットでインタビューが載っていますね。まぁこのサイトもそうなんですけど。

矢島:この当時ネットがあったらやっぱりネットでやってると思いますよ。すぐアップできるし、簡単にそれなりのものになるじゃないですか。一番ぽいのが、このワープロで打って切って貼ってるみたいな。手書きのページもあるし。90年代半ばから2000年代初頭って感じですかね。よく友達が100円とかで買ってましたね。DJサークルもいっぱいあって、ミニコミみたいなのを出してました。