レコードとインディーシーンがクロスする場所 ココナッツディスク吉祥寺店・矢島和義インタビュー


それまで来てたお客さんもだんだんこなくなって、売り上げもみるみるうちに落ちて、人がもう全然こないって感じになっちゃうんですよ。もう毎日どうしよう、やめたいって思ってました。(矢島)

――先ほど90年代末頃の状況をお伺いして、やっぱり音楽ファンはレコード屋に通っていたということですが、客層もやっぱり矢島さんと同じ世代くらいがメインだったんですかね?

矢島:99年から最初は、ココナッツディスクに通っていた人が来てくれたっていうのがあるんですよね。池袋店とか好きで、支店ができたからこっちにも来るみたいな。最初はいろんな人が来ていて、僕と同じ世代やその上の世代の、同じようにレコードを聴いていたような人たち。だけど、だんだん僕と同じ世代の人が来なくなっちゃったんですよね。それが本当に辛かった。

――その時代っていうのがレコード不況の時代と重なるんですかね。

矢島:重なってきますね。同じ世代の人が来なくなって、上の世代のおじさんしか来なくなっちゃって…それはそれでありがたい話なんですけど、だんだんマニアックな方向に行っちゃって。同じ世代の30代の人はレコードなんて聴いてる暇もねえよ、みたいになっちゃって、下の若い世代も来なかったわけではないんですけど、もうその時点ではCDですらないんじゃない? みたいな時代になってきていた。俺は取り残されて、どうしたらいいんだろうみたいな感じになってました。2005〜2006年くらいからそんな感じになってきて、2007年からは完全にそうだと思う。本当に落ち込んでました。

――売上が一番良かった時期と、逆に落ち込んでしまった時期は具体的に何年くらいのことになるんでしょうか。

矢島:2007〜2010年は本当に辛かったんですよ。2004〜2005年くらいがきっと一番売れていた時期なんじゃないかな。レコードの単価自体も高かった。もしかしたら昔の単価のまま行ったら、(新譜も取り扱っている)今のほうが売り上げはいいのかもしれないですね。今は本当に安くなっちゃったんで、全体的に。

日本レコード協会統計情報より作成。生産金額と中古レコード市場での売上という意味では単純に相関関係とは言えないが、2005年~2010年は国内の生産金額が最も落ち込んでいる年であることがわかる。

――ブログに関しては、2005〜2006年から頻繁に更新してますよね。

矢島:この店、歩いてて見つからない場所じゃないですか。雑誌の広告を出してみたり、駅の電光掲示板みたいな広告も出したりしていた時期もあるんですけど、全然反応がなくて…。それとブログを書くのがリンクしてて、それまでは各店舗一緒のブログでお知らせみたいなのを書いていたんですが、各店舗分けてやってこうっていう話になって。僕はブログにいろいろ載せて、いろんなレコードが入っている店なんだっていうのをアピールして来てもらわないとダメだと思って、それですごい書くようになりました。

――ブログを書いた効果はありましたか?

矢島:ありましたね。当時、レコード屋が入荷品をこんな風にブログで書いているのはあまりなかったと思います。ウェブストアに直で入荷したものを載せているようなサイトはありましたけど、僕はそうじゃなくて、店にも来て欲しかった。ネットで全部終わっちゃうのは嫌で、一個載せたらそれを買いに来た人がもう一枚二枚ブログに載ってないものも買っていってほしい…と思っていたから、なるべく店に呼ぶようなテイストで書いてました。僕自身がレコード屋に行って店主に絡まれて、これが良いからこれを聴けみたいなことを言われるのが嫌なタイプだったんで、でもコミュニケートはしたかったから、店のコメントカードにはいっぱい伝えたくてコメントを書いてたし、その延長線上でブログもそういうテイストで書いてて、それが良かったんじゃないかな。ブログを書いていたおかげで、大好きだった小西康陽さんからこの商品あります? って電話が来たときはもうガクガクで、うわぁーみたいな感じでした。小西さんがブログを見てくださったりレコードを買ってくださったりした事がこの時期どれだけ心の支えになっていたか。今もことあるごとにフックアップしてくださってます。大感謝です。

――ブログの成果はありつつも、やはりレコードの売り上げは落ちていった…?

矢島:それまで来てたお客さんもだんだん来なくなって、売り上げもみるみるうちに落ちて、人がもう全然来ないって感じになっちゃうんですよ。もう毎日どうしよう、やめたいって思ってました。同世代が来なくなっちゃったっていうのが大きかったので、彼らと一緒に聴いていた音楽がもう聴けなくなっちゃったんですよ。大学で一緒に聴いていたような奴は、もうみんなお金が出来て、ネットですごいレア盤を買うとかが多くなっちゃって、もう店に行かないよみたいな。まだやってるの? みたいな。だから彼らと音楽の話をしていてもつまらないし、それまで好きだったおしゃれな音楽なんてもう聴きたくないってなっちゃって。それでフリッパーズ・ギターを好きになる前に好きだったロックとか、有名なやつしか聴いてなかったパンクとかを掘り下げていろいろ聴くようになって、その中で銀杏BOYZを好きになってしまったんです。銀杏BOYZの音楽って、報われない中学生や高校生を救いあげるみたいなところがあると思うんですけど、僕は報われないレコード屋店員として救いあげられちゃった。

2007年の峯田(和伸)君のブログで、「CDとか売れないって言われてるけど、タワレコ行ったらすごく楽しくて、かっこいい音楽が流れてて、いつまでも居られるような空間。CD屋さんもレコード屋さんもいつまでも繁盛していてほしいな。」っていうような記事を書いてて、それ見て僕ボロボロ泣いて、嬉しくて。『光』っていうシングルを出す前日に更新したブログがそれで、今思えば宣伝ぽいんですけど。(笑) それよりあとはもっと売上が下がっていったんですけどね、本当は。 

峯田和伸の★がぶがぶDIEアリー

峯田和伸の★がぶがぶDIEアリー2007年11月19日の記事

ヒマな方は大量に付けられている読者からのコメントも読んでみてください。なにか発見するかもしれません。(矢島)

――2007年から2010年くらいまでが一番辛い時代だったということですが、その頃ブログに掲載されていたインディーズのバンドだと・・・ムーンライツ、ボウディーズ、ロマーンズなど…今の吉祥寺店で売れているものとはちょっと違った、ロック色の強いバンドが多いですね。

矢島:ロックとかパンクとか、もちろん今までも置いてたんですけど、僕がそういった音楽により戻された時期とちょっとかぶってて、きっと(キャンパスが吉祥寺にある)成蹊大学の学生とかかな? 当時パンクDJとかロカビリーとかをレコードで買ってDJでかけるみたいなのがほんの一部で盛り上がってる時期があって、そういう若者がちょっと来てたんですよね。それがすごく嬉しくて、僕もそれに感化されてそういう音楽を聴いていました。そこが若い人たちを連れてくる一つの突破口かなと思ってやってて。

――リアルタイムで活躍しているアーティストは、中古レコード屋をやりつつも聴いてはいたんですか? 

矢島:新しいインディーズバンドみたいなのに興味が出てきたのはそれくらいからですかね。新しい音源とか全然興味がなくて、90年代にずっと聴いていたようなもの…フィッシュマンズやサニーデイ・サービスもいなくなっちゃうし、2000年代はつまんないなって思ってました。それと時を同じく中古レコード盤屋の店長になっちゃったから、古い音楽のほうに興味が寄っちゃってずっとそれを聴いていたんですけど、レコード不況になってからそういう音楽が全部嫌だみたいになっちゃって。今までずっと集めてきた音楽がまったく救ってくれないんですよ。すっごい辛くてもうやめたいって思っているときに、マニアックなポップスのレコードとか戦前のブルースとかを聴いても慰められるような音楽じゃないし、銀杏BOYZを聴いていたほうが良かった。今まで俺なにやってたんだろうみたいなくらいに思っちゃって。

そういう経験もあって、それまで日本語の歌詞の曲とかってマイナー調の暗いものは嫌い、メジャー調の楽しいものが好きっていう感じで聴いてたんですけど、そのときやっとマイナー調の曲の良さみたいなのにも気づいて、そこで世界が一つばあっと広がって、そういうものの良さみたいなものがわかるようになりました。その頃、気づくとインディーズのバンドがCD-Rで作品を作ってディスクユニオンとかに置くっていうのがだんだん増えていたんです。ユニオンに行くとそういうのがいっぱいあって、流通してるCDじゃなくてCD-Rで作ってるみたいなのが面白いなって。多分その頃くらいからじゃないかな。相対性理論1)自主制作音源「シフォン主義」はCD-Rでありながらディスクユニオンで半年で約700枚を販売。2007年度年間のインディーズチャートでも1位を獲得する。全国流通盤として再発されたのは2008年。※出典:ディスクユニオン とかああいうのがあって。それと昆虫キッズを聴いたのがほぼ同時期で。

 

References   [ + ]

1. 自主制作音源「シフォン主義」はCD-Rでありながらディスクユニオンで半年で約700枚を販売。2007年度年間のインディーズチャートでも1位を獲得する。全国流通盤として再発されたのは2008年。※出典:ディスクユニオン