日常のその先にひろがるDIYフェス– 静岡・フジサンロクフェス・イズヤングフェスの現場から


 私たちは音楽をもっと「日常」で楽しむことはできないのだろうか。大型フェスでは何千・何万の人とひとつの音楽を共有することができるのに、日常に戻ったとき、私たちは身近な人たち…例えば家族、同級生、仕事の同僚…そんな仲間と一体となって音楽を楽しむ機会がどれだけあるだろうか。現代においてひとつの音楽を楽しむという行為は、あまりに分断されすぎている。しかし、そんな疑問を吹き飛ばすがごとく、日常の延長線上にあって幸福感あふれるフェスが、静岡東部に2つも存在する。それが『フジサンロクフェス』と『イズヤングフェス』である。今回はその両フェスの打ち上げ的イベント『little expo』が<live & photo exhibition>として、阿佐ヶ谷Rojiで行われる、ということで急遽取材させていただき、主催である写真家の鈴木竜一朗さん、伊豆を拠点に活動するバンド・ヤングのVo.高梨哲宏さんにお話を伺った。

取材・文 / 藤森未起

profile

フジサンロクフェス…写真家の鈴木竜一朗の生家(静岡県御殿場市)で2008年より開催されている自宅フェス。closeとopenが混在する意味の造語であるclopen(クロープン)という言葉をキーワードにあげ、緩やかに閉じつつ展開していく場を目指している。主な出演者として、cero、表現(Hyogen)、FALSETTOS、あだち麗三郎、野田薫、Tenkö、片想い、mmm、NRQ、三輪二郎、倉林哲也、厚海義朗、Sitaar Tah!、VIDEOTAPEMUSIC、いなかやろう、SUNDRUM、仰木亮彦、ファンタスタス、やけのはら+ドリアン、藤井洋平、momo椿*、鳩山浩二、skyfishsuisea、他多数。

イズヤングフェス(IZU YOUNG FES)…静岡県伊豆を拠点に活動するバンド・ヤングが主催する野外フェス。場所は静岡県伊豆の国市、狩野川さくら公園。2012年より開催。主な出演者として、フジロッ久(仮)、アナログフィッシュ下岡晃、来来来チーム、SEBASTIAN X、DIEGO、core of bells、ザ・なつやすみバンド、T.V. not january、ミタメカマキリ、我如古ファンクラブ、テングインベーダーズ、Ithink、洞、スーパーOTOTOI GROUP、Hello Hawk、MANT、他多数。


能動的な人を受け入れたい、という気持ちはしっかりとありました。
そのためにはドアが緩やかに開いている必要がありました。(鈴木)

フジサンロクフェス会場の様子

フジサンロクフェス・イズヤングフェスとは一体なんなのか。まず、その繋がりときっかけに注目したい。フジサンロクフェス主催者の鈴木竜一朗氏といえば、主に写真家としての活動で知られており、今やインディーズシーンを語る上で象徴的存在となったceroのアーティスト写真等も担当している。セカンドアルバム『My Lost City 』のジャケットは目にした方も多いのではないだろうか。また、瀬戸内芸術祭などに出演するなど、ライヴハウスにとどまらない音楽活動を展開する表現(Hyogen)とは、共作のアートボックスCD『琥珀の島』を製作するなどの密接なコラボレーションを多々行っている。そして、彼らは第1回のフジサンロクフェス立ち上げから関わっているようだ。

――鈴木さんは、ceroや表現(Hyogen)といったアーティストと昔から縁があって、フジサンロクフェスにも開催当初から出演してもらっているようですね。もともと彼らとはどのような繋がりがあったんですか?

鈴木:まず、『Home&Away』という、2004年に吉祥寺で開催されていた総合的なアートイベントに、廣田くん(写真家・廣田達也)に誘われて足を運んだことがきっかけです。廣田くんと僕は写真専門学校の同級生で、ceroの髙城君とは幼馴染でもありました。H&Aに出入りするようになって、ceroを筆頭に様々な人との出会いがありました。

――つまり、極身近な友人関係から繋がったということですか。

鈴木:はい、みんなそれぞれ幼馴染だったり、中高の同級生だったり、大学の同期だったり…。いま思い返すと、DJのKAZUHIRO ABOくん、様々なMVを撮影している浅井一仁くん、VIDEOTAPEMUSICくん、FALSETTOSのメンバー、などなど色々な人が出入りしていたようです。

――では、そこで表現(Hyogen)とはどのように繋がったのですか。

鈴木:その頃から表現(Hyogen)のメンバーである佐藤公哉くんや古川麦くんを認識してはいましたが、ちゃんとした関わりを持ったのはもう少しあとになります。2008年7月にダンサー・振付家の酒井幸菜さんによる舞台公演「ミツスイの逃走団『脈拍』」が川崎市アートセンターにて開催され、表現(Hyogen)と、あだち麗三郎くんは演奏で参加していました。その公演にすごく感動して、一緒に観た友達(ceroの髙城くんなど)とアートセンター近くの公園で応援パフォーマンス<※ 表現(Hyogen)の曲に合わせて応援団の振り付けをする遊び。鈴木は高校時代応援団長だった>をふざけてやりました。その模様を録画していた友達がwebに載せたところ、表現(Hyogen)から「面白いからやってほしい」と連絡がきて、二ヶ月後には東京藝大の藝祭で羽織袴を着て応援パフォーマンスを披露していました(笑)。

――その年に第1回のフジサンロクフェスが開催されていますね。どのような経緯ではじまったのでしょうか。

鈴木:表現(Hyogen)が田舎で合宿をしたいと言っていたのと、僕が自宅に人を呼びたいと言っていたのが相まって実現しました。たしか、表現(Hyogen)は4泊くらいして新曲を2曲仕上げてそれを披露しました。出演はcero、表現(Hyogen)、あと僕の在籍しているバンドskyfishsuiseaのみで、観客は友達だけという感じ。出演者も含めて全部で15人くらいしかいなかったのではないでしょうか。あだち麗三郎くんが遊びに来てくれて、終演後、月明かりの下で「あの日あの夏」を弾き語りしてくれたことを憶えています。

fsf02

――最初は本当に内輪だけだったのですね。そこから、どうしてclopen(クロープン=閉じて開いている)というコンセプトを掲げてイベントを続けるようになったのですか?

鈴木: 僕は生まれてこのかた、いわゆるフェスに参加したことがなくて…。そもそも御殿場暮らしなので山は毎日見てるし、土も毎日踏んでるし、水は湧き水だし。わざわざ高いお金を払ってスキー場とかに行って大きい音でライヴで踊る…っていうものには、微妙な違和感をおぼえています。手放しで楽しめる場所って、本当はもっともっと身近にあるべきだと思うのです。それが僕の場合は実家の庭で、「うちの庭は楽しいからここにみんなを呼んじゃおう」みたいな感じです。「clopen(クロープン)」をキーワードとした理由として、能動的な人を受け入れたい、という気持ちはしっかりとありました。そのためにはドアが緩やかに開いている必要がありました。

この自宅をフェスの会場にしてしまうという大胆さと、clopenというコンセプトは開催するや否や話題になり、2009年にはメディアにも多数取り上げられている。イズヤングフェス主催の高梨氏はフジサンロクフェスの良いところをこう語ってくれた。

高梨:まず、鈴木家がすばらしい。あの規模のイベントを自宅でやらせてくれるご家族のご理解とご近所の方々との関係性に感動します。そしてclopenというコンセプトが作り出す、来場者同士のゆるい一体感。開催中は鈴木家が(正しい)街のようになって、各々がすこしずつ能動的にフジサンロクフェスを作っている感覚がある。たとえばゴミが落ちていたら拾うし、ちらかっていたら片付ける。夜中(1日目と2日目の間)みんなで飲んでいるときに、お腹がすいている人がいたら料理の得意な人がみそ汁つくりはじめるし、うまいお酒を知っている人がお裾わけしてくれたり。誰かが困っていたらその場にいる人が助ける。お客さんと運営サイドという隔たりが限りなく少ない。それはイベントをはじめたきっかけが元々竜さんのお父さんの誕生日パーティーだったということもあり、竜さんがclopenというコンセプトを掲げて、年々少しずつ仲間を増やしていくように丁寧にイベントを成長させてきたからだと思います。

fsf03

――自宅で開催、となると騒音トラブルみたいなものがありそうですが、地元の反応はどんな感じでしたか。

鈴木: 最初は手探りでいろいろ大変でした。事前に回覧板を製作して一軒一軒近所にお触れしてまわって、開催後には菓子折りを持って一軒一軒ご挨拶に行くようにしています。誤解を生じさせないためにも、しっかりと顔を合わせて正確に内容を把握していただくよう気を配っています。
2009年のフェスの模様がいくつかのメディアに掲載されてからは、物事はより円滑に進んでいる印象です。もともと「音楽家や芸術家のインスピレーションを育むための合宿」という内容で回覧板を製作したので、それが成功してメディアに掲載されたことで、ご近所の理解もいっそう得られたように思います。また、フジサンロクフェスの開催からほどなくして僕が御殿場の『Kitchen&Bar 明天』という飲食店で働き始めたことで、地元の横のつながりも広がりました。「御殿場にもこんな面白い人がいるんだ!」の連続でした。その後はフジサンロクフェスでのケータリングなど、地元の方々にはとてもお世話になっています。

そして、このアーティストと出演者がゆるくも一体となって楽しむ光景に感銘を受けたのが、イズヤングフェス主催の高梨哲宏氏であり、イズヤングフェスが開催されることになるのだ。